擬宝珠とギボウシ(植物)
魚河岸と言えば「日本橋魚河岸」、日本橋と言えば「擬宝珠」が有名ですので、今回はそれに関わる話をさせて下さい。
ユリ科ギボウシ属のギボウシ(写真)は、そのつぼみが日本橋・京橋・新橋などの橋に付いている擬宝珠に似ていることから命名されました。ギボウシは東アジアに約20種が分布し,観賞用に栽培されています。日本(沖縄除く)・中国・朝鮮半島・カラフトが主たる原産地です。葉は根生し,長い柄があり,ふつう広楕円形で数本の縦脈をもちます。初夏,包葉のある花茎を伸ばし,包葉の腋にふつう1個ずつ花をつけて総状花序となります。花は横向きに咲き,漏斗状筒形で先は6裂。花色は白色,淡紫色,濃紫色。一日花でふつう朝開き,午後にはしおれます。日本には、コバギボウシ・オオバギボウシ(写真)・イワギボウシ・トウギボウシなどがあります。トウギボウシは古くから栽培されており、大型の園芸品種の重要な原種です。伸長途中の花茎の先の苞の集まった形が宝珠に似ており,擬宝珠(ぎぼうし)という和名が生じました。海外(アメリカなど)では属名のホスタの名で呼ばれますが、日本でもこの名前で呼ばれることが多くなりました。ホスタの語源はオーストラリアの植物学者N.T. HostとJ.Host、両氏の名に由来します。
日本橋の擬宝珠
日本橋 黒江屋に残った擬宝珠(写真右)
日本橋 黒江屋には、欄干にあった擬宝珠(ぎぼし)が置かれています。「万治元年戊戌年(1658年)9月吉日 日本橋御大工椎名兵庫」の刻印があります。側面が凹んでいるのは、火事で落ちた時の衝撃によるものでしょうか。漆器屋さんに擬宝珠があるのは、戦後の混乱期、黒江屋を骨董品屋と間違えて来店した客が持ち込んだためのようです。
擬宝珠の由来
擬宝珠の起源は諸説あり、一つは仏教における宝珠から来ているとするものです。宝珠は釈迦の骨壺(舎利壺)の形とも、龍神の頭の中から出てきた珠のこととも言われ、地蔵菩薩などの仏像が手のひらに乗せています。 この宝珠を模した形から模擬の宝珠という意味で擬宝珠とつけられたという説があります。
もう一つはネギのもつ独特の臭気が魔除けにもなると信じられ、その力にあやかって使われるようになったとする説ですが、擬宝珠という字は葱帽子、葱坊主とも書かれますので後からの当て字であるかもしれません。
ギボウシは江戸時代から観賞用に栽培・改良されてきました。これが江戸時代に長崎オランダ商館の医官として滞在したドイツの博物学者シーボルト(1796~1866)によってヨーロッパに紹介されたと言われています。その後、ヨーロッパやアメリカで品種改良が進み多くの種類のギボウシが出来ました。ヨーロッパではガーデニング植物として日本以上に人気があるといわれています。
参考文献:
1) 徳川将軍家の真実: 山下昌也著 (株)学習研究社 2007年刊
2) 日本橋魚河岸物語: 尾村幸三郎著 (有)青蛙房(せいあぼう) 1984年刊
3) 魚河岸百年: 魚河岸百年編集委員会 (株)日刊食料新聞社 1968年刊
4) 中央区沿革図集[日本橋編]: 東京都中央区教育委員会 1995年刊
5) 日本橋魚市場絵図面: 中央区指定有形文化財(築地3丁目16-4 金子家所蔵)