「幻の美人画 鏑木清方」
近代日本画の巨匠・鏑木清方による「築地明石町」が、現在、東京国立近代美術館で公開されているようですね。
https://www.momat.go.jp/am/exhibition/kiyokata2019/
『週刊新潮』11月14日号の裏側のグラビアで、「幻の美人画 鏑木清方」として、3頁にわたり記事が掲載されています。
《築地明石町》が「幻の美人画」と言われてきた所以については、東京国立近代美術館のサイトで、
>歴史に残る近代日本画の名作であるにもかかわらず、1975(昭和50)年以来 44 年もの間、所在不明となっていたからです。
戦禍を免れた《築地明石町》が清方のもとにもたらされたのは1955(昭和30)年のことでした。それを機に、清方自身が出品の仲介役を果たすことで、《築地明石町》はしばしば展覧会に出品されるようになりました。しかし、1972(昭和47)年に清方が亡くなると事情が変わります。翌年から3回にわたってサントリー美術館で開催された「回想の清方」シリーズの3回目(1975 年)に出品されたのを最後に、《築地明石町》は忽然と姿を消したのです。以来44年、多くの人々が《築地明石町》の再登場を待ちわびてきました。
と述べられています。
この「築地明石町」とほぼ同時期に制作された、同サイズの「新富町」「浜町河岸」と併せた3作品が、このたび東京国立近代美術館に収蔵されたそうです。
『週刊新潮』11月14日号記事では、
「築地明石町」(1927年 絹本彩色・軸装)は、「明治期、外国人居留地であった明石町。洋館の垣根には水色のペンキが塗られ、朝顔が咲いている。『近代の見返り美人』と称された、女性の何げない所作の美を描いた名作である。」
「新富町」(1930年 絹本彩色・軸装)は、「有数の花街でもあった新富町。そこを、高くて歯の細い雨下駄で先を急ぐ女性が描かれている。奥に見える新富座は関東大震災で焼失し、廃座となった。」
「浜町河岸」(1930年 絹本彩色・軸装)は、「隅田川にかかる新大橋をバックに、バラの簪を挿した稽古場帰りの娘。舞扇を手にし、踊っているのか、何か思案しているのか。その様子が可愛らしい。」
と説明しています。
特別公開の
会期:2019年12月15日(日)まで
会場:東京国立近代美術館 所蔵品ギャラリー第10室
休館日:月曜日