隅田の花火

相生橋は隅田川の橋でいいじゃん

「隅田川派川」に架かる相生(あいおい)橋です。「晴海運河」に架かる橋、と言うのが正しいのでしょうか。ずっと前から思っている謎のひとつです。皆様はどちらが正しいと思いますか?

上流から流れてきた隅田川は、下流域の佃・石川島のところで本流から枝分かれし、その枝分かれした先に架かっているのが相生橋。相生橋のたもとには、「すみだ川」と書かれた看板もあるので、ここに初めて来た時は、この水域も隅田川なのかぁ、と理解していました。

 相生橋は隅田川の橋でいいじゃん

ですが私が初めて受検した、2014年の第6回中央区観光検定で、こんな問題が出題されて、えっ?と思ってしまいました。

●月島駅を出て、清澄通りを「石川島公園」に向かって歩くと、平成12(2000)年3月に架け替えられた橋が見えてきます。春海運河に架かるこの橋の名称は、次のうちどれでしょう。
    ア.朝潮大橋
    イ.中央大橋
    ウ.相生橋
    エ.春海橋

文脈から読み解くと、解答は「ウ.相生橋」であることはわかるのですが、相生橋は隅田川に架かる橋だと思っていたので、イマイチ納得のいかない問題だと思ってしまいました。

そこで、現地にある案内板などをいくつか見てみると・・・

 相生橋は隅田川の橋でいいじゃん

現地では、「隅田川の派川に架かる橋」という解説が多数派のようです。

では肝心の、中央区観光検定の公式テキスト「歩いてわかる中央区ものしり百科」には、どのように書かれているのか?。隅田川の橋のほとんどは細かく解説されているので、相生橋も書かれているはず・・・ 。

えっ?。もしかして、解説が無い・・・ 。歴史のある良い橋だと思うのですが・・・ 。

詳しく見てみたら、佃エリアを廻る散策コースのページの地図に、「晴海運河」と書かれています。また、中央区観光協会発行の「中央区エリア別ガイドマップ 佃・月島」の地図にも、この辺りの水域を「晴海運河」と記載しているので、どうやら中央区観光協会としては、相生橋は「晴海運河に架かる橋」ということらしいです。相生橋は隅田川の橋だと思っていたのですが・・・ 。

 相生橋は隅田川の橋でいいじゃん

佃側からこの水域越しに見る「中の島」

どうも納得がいかないので、Google先生に聞いてみました。「晴海運河」で検索したウィキペディアのページには、

「広義には東京都中央区佃と江東区越中島との境界で隅田川から分かれて東京湾に注ぐ区間をいう。橋名にもある春海から春海運河とも呼ばれる。この運河からは豊洲運河、朝潮運河などが分かれて流れる。 行政上は、隅田川本流から分岐しての0.9㎞は隅田川派川(すみだがわはせん)である。隅田川派川の下流から河口までを晴海運河とする自治体もあり、また、隅田川派川の下流から春海橋の下流までを晴海運河とし、晴海大橋上流から河口までを晴海豊洲間水域と呼ぶ自治体もある。 」

と、書かれています。

なんだかなぁ・・・ すごく曖昧・・・ 。

他をいろいろと調べてみると・・・ 相生橋が架かるのは、隅田川派川でも隅田川でも晴海運河でも春海運河でも、どれでもいい、ということらしいのです。

●中央区HP 区内の橋梁
             →隅田川の橋

●wikipedia 隅田川橋梁群
             →隅田川の橋

●かちどき・橋の資料館でもらえるパンフ
             →隅田川の橋

●橋から見た隅田川の歴史 飯田雅男
            ㈱文芸社(2002/6)
 →地図上、晴海運河に架かる橋としている

●第2回中央区観光検定 の問題
  中央区の区制60周年を記念して制定された「中央区おはこ十八景」の一つに「隅田川8橋」があります。では次の中で隅田川8橋でないものはどれでしょう。
    ア.新大橋
    イ.中央大橋
    ウ.隅田川大橋
    エ.相生橋

  正解は「エ.相生橋」
          →隅田川の橋ではない

相生橋は「隅田川に架かる橋」として、隅田川の橋に混ぜてあげても良いと思うのですが、中央区の観光業としては、どうもそういうことにはなっていないような・・・ 。隅田川ファンの私としては、少し悲しくなってしまうのであります。

謎はまだある ・・・現橋の架橋年

一番はじめにご紹介した中央区観光検定の問題では、相生橋は「平成12(2000)年3月に架け替えられた橋」としています。実はこの架橋年も、私が思っている相生橋に関する謎のひとつになっています。

なぜなら現地にいくと、この橋にとりつけられているプレートには、「平成11年3月竣工」と刻印されているからです。

 相生橋は隅田川の橋でいいじゃん

また、現地には「平成11(1999)年に架け替えられた」と解説する説明版もあれば、「平成10(2000)年12月19日に全線開通した」という説明もあります。

これらの違いが発生している理由は、何をもって「橋の架橋年」とするのか、という、判断基準の違いのせいなのでは・・・ と思いました。でも平成10年に全線開通しているのであれば、その前に完成しているのが普通だと思うし・・・ 何だか違う・・・ 。

この橋の架橋年はいったい何年が正解なのでしょうか?

 相生橋は隅田川の橋でいいじゃん

どうも納得がいかないので、Google先生に聞いてみました。「相生橋」で検索したウィキペディアのページには、

 1998(平成10)年12月に架替え。
 1998(平成10)年12月一部開通。
 1999(平成11)年8月全通。
とあり、

さらに訳が分からなくなってしましました。他をいろいろ調べてみると、

●中央区HP区内の橋梁 からのリンク
      →平成12(2000)年3月に架橋

●かちどき・橋の資料館でもらえるパンフ
      →平成12(2000)年に現橋建造

●橋から見た隅田川の歴史 飯田雅男
            ㈱文芸社(2002/6)
        →平成11(1999)年に改架

●隅田川の橋
    東京今昔街あるき研究会(2013/11)
        →平成10(1998)年に完成

なんだかなぁ・・・ 。全くわかりません。

私の気分的には、現橋に取り付けられているプレートの「平成11年3月竣工」から、「平成11(1999)年3月に現在の橋に架け替えられた」と思いたいのですが・・・ 。誰か教えてください、といった感じです。

 相生橋は隅田川の橋でいいじゃん

この中の島から登った所にプレートがある

もう一つの謎・相生橋の名の由来

相生橋という名の橋は全国各地にあって、その名の由来は、「相生の松」の相生という意味からのものが大多数です。

「相生の松」とは、同じ根元から赤松と黒松が生える松のことで、その様子から、「夫婦仲良く長生きするたとえ」になったり、「仲良く2つのものが並ぶ」といった意味で用いられたりします。

では、この「隅田川」に架かる相生橋はどうなのでしょう?。

 

この橋の歴史を見てみると、

(1).明治36(1903)年、越中島地域と佃地域を結ぶ木橋として創架。その間にある「中の島」で橋を中継していた。

(2).大正8(1919)年、拡幅のため改架。中の島が中継点で、佃側の大橋は木製トラス橋、越中島側の小橋は木製桁橋だった。大正12(1923)年7月には市電が月島まで渡ったが、その2か月後に関東大震災で焼失。

(3).大正15(1926)年、震災の復興局が手掛けた隅田川6大橋のうち、最初の橋としてゲルバー桁橋を架橋。中の島を中継点とし、佃側に相生大橋、越中島側に相生小橋が完成。

(4).昭和55(1980)年に小橋は埋め立てられ、中の島は越中島側と陸続きになる。老朽化が目立ったことから、平成11(1999)年?に現トラス橋へ改架。

ということで、相生橋の名の由来は、『中の島が中継する長短2つの橋の姿を、縁起の良い「相生の松」に見立てた』という説が有力です。

 相生橋は隅田川の橋でいいじゃん

中の島の秋

ですが一方で、『相生橋は永代橋に相対する橋として名付けられた』という説も、この橋にはあるのです。

そこでいくつかの本で確認してみました。

 ①東京の橋~生きている江戸の歴史
    石川悌二 新人物往来社(1977/6)

 ②中央区の文化財(三)橋梁
    中央区教育委員会 (1977/8)

 ③隅田川~橋の紳士録
    白井裕 東京堂出版(1993/9)

 ④橋から見た隅田川の歴史
    飯田雅男 ㈱文芸社(2002/6)

 ⑤隅田川の橋
    東京今昔街あるき研究会(2013/11)

その結果・・・
   「相生の松」派   ・・・②③⑤
   「永代橋の相対」派 ・・・①④
     (⑤には両説があることが記述)

ということで、どちらの説も由来として譲らない、といった感じです。

「永代橋の相対」の説の方は、何だかつまらなそうな説に感じられてしまいそうですが、明治36(1903)年の創架当時のことを想像してみると、なかなかよいなぁと思うのです。当時の隅田川には現在ほど橋は架かっておらず、相生橋から見えていたランドマークは、当時トラス橋だった永代橋。橋梁の分野では、歴史ある永代橋は当時もリスペクトされていたわけで、「永代続いていく永代橋と共に長生きしていく相生橋」と考えれば、橋好きな人にとって、とても素晴らしい説だと思うのです。

 相生橋は隅田川の橋でいいじゃん

相生橋から見える永代橋

相生橋は「いい夫婦」の橋

相生橋は関東大震災後、隅田川の震災復興事業の最初の橋として架けられました。その当時の資料を探してみたら、その竣工日が載っていました。大正15(1926)年11月22日。そう、相生大橋と小橋は「いい夫婦の日」に竣工しているのです。

 ●土木建築工事画報に記述有り
    ダウンロード有→昭和2年2月発行
  ※尚、先ほどの④の本には
     この日に開通式を行ったとの記述

11月22日がいい夫婦の日と制定されたのは近年のことのようですが、語呂合わせくらいであれば当時の人もやっていたはず。「相生の松」を意識して竣工日を設定したわけではないかもしれませんが、隅田川の復興へ向けての悲願のスタートとなった相生橋の竣工だったわけですから、とても素晴らしいお話だと思うのです。

今年は令和元年。 令和初めての夫婦の日を選んでご結婚され、新たなスタートを切られる方々も多いのではないでしょうか。私の身の周りには、令和1年11月11日にご結婚された方がいました。おめでとうございます。

この相生橋、何だかとてもいい橋だと思うのですが、隅田川の橋に混ぜてあげても良いような・・・ いかがでしょう?