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記念日で知るあの頃の中央区~12月編~


こんにちは!アクティブ特派員のHanes(ハネス)です。
あっという間に今年も残すところあと1ヶ月となりました。
今月から中央区観光検定の勉強を始めたという方もいらっしゃるかもしれませんね。
そこで、検定を意識した内容を含めながら、今月も記念日を手がかりに中央区の歴史を振り返ってみたいと思います♪

漱石忌(12月9日)

12月9日は、文豪 夏目漱石の命日です。
彼は現在の中央区で生まれたわけでも、現在の中央区に家があったわけでもありません。
しかし、彼の作品中には日本橋がたびたび登場します!

『倫敦塔』では、留学先のロンドンで道に迷い、20回余りも道を聞いてやっと下宿へ帰り着いたさまを、「丸で御殿場の兎が急に日本橋の真中へ抛(ほう)り出された様な心持ち」と表現しています。
また、『三四郎』『心』には、日本橋の寄席「木原亭」が登場し、かの有名な『吾輩は猫である』内の会話内には白木屋も登場します。

 記念日で知るあの頃の中央区~12月編~


そのようなこともあり、COREDO日本橋アネックス広場には「漱石名作の舞台」と刻まれた石碑と案内が設置されています。
また、すぐ隣には名水白木屋の井戸の碑があります。
白木屋を継いだ東急百貨店日本橋店が1999年に閉店した際、この名水も同時に消失しました。
しかし、越前松平家ではこの水のおかげで当主の病が治ったとして明治維新まで毎朝水を汲んでいたこともあり、現在も残っていたら水を汲みに来る観光客が絶えなかったことと思います^^

四十七士討ち入りの日/忠臣蔵の日(12月14日)

1702年12月14日(旧暦)は、赤穂義士たちが吉良邸討ち入りを決行した日です!
兵庫県赤穂市やお隣港区の泉岳寺では、「赤穂義士祭」が盛大に開催されます。
中央区内で同様の行事はありませんが、赤穂義士に関する史跡がいくつか残っているので簡単にご紹介します。

まずは、明石町にある浅野内匠頭邸跡(東京都指定文化財)。
1701年に勅使の接待役に推された彼ですが、江戸城中で指南役の吉良義央を切りつけたため切腹を命じられました。

 記念日で知るあの頃の中央区~12月編~


続いては、亀島橋の八丁堀側にある堀部安兵衛武庸之碑
越後国出身の彼は江戸で剣術の修行に励み、堀内道場の四天王と呼ばれるほどの腕前を持っていました。
剣術の腕前を認められ、浅野家家臣 堀部弥兵衛の養子となり、吉良邸の討ち入りにも参加しました。

 記念日で知るあの頃の中央区~12月編~


さらに築地本願寺の境内には、吉良邸討ち入りでは裏門隊に属した間新六供養塔があります。
吉良邸から泉岳寺へ引きあげる際、金子を結び付けた槍を自らの供養料として築地本願寺の塀の中へ投げ入れたという伝説が残っています。

 記念日で知るあの頃の中央区~12月編~


忠臣蔵については今も勉強中の私ですが、以前赤穂義士をテーマに記事を書いたことがあります。
広島とお隣港区への遠足時に見聞きしたことをまとめたものです。
私のように「忠臣蔵はなんだか難しそう」というイメージを抱いている方がいらっしゃいましたら、【遠足シリーズ第1弾】木造と和菓子に学ぶ赤穂義士も合わせてご覧ください^^
身近なものを通してカジュアルに忠臣蔵にふれ、興味を持っていただけたら幸いです♪

また、国立映画アーカイブによる日本映画生誕120年記念サイト「映像でみる明治の日本」では、1910~1915年頃に撮影された現存最古の「忠臣蔵」映画(サイレントの白黒(一部染色)映像、50分)を観ることができます。
こちらは、”日本映画の父”牧野省三と”日本映画最初のスター”尾上松之助のコンビによる作品で、浅野内匠頭と大石内蔵助がいずれも松之助によって演じられています。
(その他、中央区に関する古い映像についてはこちらの記事で取り上げています。)

デパート開業の日(12月20日)

1904年のこの日、日本橋の三越呉服店の初代専務 日比翁助「デパートメントストア宣言」をし、日本初の百貨店が誕生しました!
こちらの百貨店は後に、皆さんご存知の日本橋三越本店となりました。
(参考:三越伊勢丹ホールディングス「三越のあゆみ」

 記念日で知るあの頃の中央区~12月編~


三囲(みめぐり)神社、三井家、そして三越については、先輩特派員のえだまめさんがこちらの記事で分かりやすくまとめてくださっています。
観光検定対策も兼ねて、合わせてご覧ください♪

中央区に関するその他の記念日

観光バス記念日(12月15日)
1925年のこの日、日本で初めて定期観光バス「ユーランバス」の運行が開始されました。
コースは、皇居前~銀座~上野だったといいます。
バスでの観光は今や馴染みのあるものとなりましたが、普及したのはこの100年弱での出来事だったのですね!
(参考:国土交通省メールマガジン第2007号

紙の記念日(12月16日)
近代日本経済の基礎作りに貢献した渋沢栄一は、「製紙及び印刷事業は文明の原泉」と述べ、書籍や新聞の普及、大量印刷に適した洋紙製造の必要を説き、「抄紙会社」を設立しました。
この会社は後に王子製紙株式会社になり、その株主で銀座4丁目に本社を構える王子ホールディングスにつながります。
(参考:王子ホールディングス「沿革」

その他、渋沢栄一による中央区内での貢献は、東京商工会議所発祥の地(銀座6丁目)や靴業発祥の地(入船3丁目)に加え、明石町や日本橋兜町にある碑等で知ることができます。
渋沢栄一についてまとめた過去記事はこちらから。

テレホンカード記念日(12月23日)
1982年のこの日、カード式公衆電話1号機数寄屋橋公園内に設置されました!
電話機の色は目で見た時に確認しやすい緑色が採用されたそうです。
今ではテレホンカードを利用する機会はほとんどないという方の方が増えてきているのではないかと思いますが、カード式のメリットは、小銭がなくても電話がかけられ、長距離通話時などでも連続して硬貨を入れなくて良いこと。
そして、テレホンカードを挿入するとカードに記録されている通話可能度数が表示され、残りの金額および通話可能時間の目安が分かること。

余談ですが、留学中に携帯電話の電波がない環境下で日本に公衆電話から電話をかけざるを得なくなった際、途中で小銭がなくなってかけ直したり、残りの通話可能時間が分からず保留音の途中で切れたりと散々だった思い出があります(笑)
そのため、テレホンカードの存在の重要性は、同世代の中でも人一倍感じていると思います^^
(参考:NTT技術史料館「オリジナルペーパークラフト」

日本最初の公衆電気通信業務開始日(12月25日)

こちらは記念日ではありませんが、中央区で12月25日と言ったら、やはり文明開化に多大なる貢献をした日本最初の公衆電気通信業務開始日ではないでしょうか?
記念日で知るあの頃の中央区~10月編~では、その前段階のエピソードをご紹介しています。

 記念日で知るあの頃の中央区~12月編~


明石町にある「電信創業之地碑」にも12月25日の出来事が刻まれているので、検定対策でまち歩きをした際にはどうぞお見逃しなく♪