人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社 NO.28
~ 玉尾稲荷神社 ~
『ギフト、そして自分も楽しむ』を取材します、rosemary sea です。
「人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社」シリーズ、第28回の今回は、玉尾稲荷神社(たまおいなりじんじゃ)をご紹介します。
それでは・・・
東日本橋には4つの稲荷神社ございます。
このシリーズでのご紹介は、こちら「玉尾稲荷神社」で3つめとなります。
商売繁盛、五穀豊穣。
地元となります「東日本橋三丁目 橘町会さんから、永く信仰を集める神社。
2月の初午(はつうま)の日や、二の午の日には、町会の方々のご尽力によりお祭りが行われるそうです。
ご覧のように、ビルの谷間にある神社です。
今回も江戸古典落語をご披露します。
第20回を迎えることとなりました。
玉尾稲荷神社の「尾」の字から、『紺屋高尾(こうやたかお)』を選びました。
噺の中にはお玉が池の「玉」の字も出てきますので、「玉」と「尾」が揃う、と思いましたから。
<事前確認コーナー>
紺屋(こうや)・・・
染物屋のこと。もとは「こんや」とも言いました。
「紺屋の白袴(こうやのしろばかま)」、お聞きになったことがありますよね。
「他人のことにばかり忙しく、自分のことに時間を割くことができない人」のことです。
高尾大夫・・・
「太夫」は遊女の最上級の位。そして「高尾」は吉原随一の妓楼・三浦屋に代々伝わる名跡。
落語噺「高尾」・・・
通常は「仙台高尾」とも言い、仙台公と高尾大夫の噺を指します。
しかしこちらの噺の筋は今回の「紺屋高尾」と全く違い、ハッピーエンドではありません。
詳細はここでは語りませんので、調べてみてください。
なお、日本橋馬喰町の餅屋の奉公人・清蔵と吉原海老屋の幾代太夫の噺「幾代餅(いくよもち)」も、今回の噺「紺屋高尾」と良く似た内容です。
両国広小路に餅屋の店を出し繁昌した、というのも酷似しています。
※ 「幾代餅」につきましては人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社・第25回・寶田恵比寿神社の第17回江戸古典落語の「擬宝珠(ぎぼし)」にて触れています。
『紺屋高尾』
神田紺屋町の染物屋・吉兵衛の職人久蔵は、もう3日ばかり寝込んでいます。
心配した親方は神田お玉が池の先生を呼びます。
先生の見立ては「恋煩い・恋の病」。
吉原の花魁道中で見かけた三浦屋の高尾大夫に一目ぼれ、しかし当然のことながら高嶺の花。
久蔵さんの給金は年に3両と聞き、先生は「3年きっちり働て金を貯めたら高尾に会わせてやる」と約束します。
3年経って久蔵さん、身なりを整え、先生とともに吉原へ、三浦屋へ、そして高尾大夫に会えます。
別れ際に大夫「今度は主(ぬし)はいつ来てくんなます?」と。
久蔵さん、身元を明かし「3年間稼がなければ来れない」と。
久蔵さんの真に惚れた大夫、「来年2月に年季が明けたら行くから、女房にして欲しい」と。
年も改まり2月、染物屋の前に駕籠(かご)が止まり、中からは文金高島田の高尾大夫が、・・・。
先生の仲人で、二人は晴れて夫婦になりました。
染物屋の親方は久蔵さんにのれん分けを許し、近所に店を持たせます。
久蔵さんの「早染め」は大評判となり、二人は幸せに暮らしました・・・。
玉尾稲荷神社
東日本橋3-10-1
東京メトロ日比谷線・都営浅草線 人形町駅 A4出口の久松警察署・明治座さん側(人形町交差点側ではありません)を出て右へ少し。
金座通りを約400m、「久松町」交差点渡り左折して「清洲橋通り」を進む。
約180m先の「清洲橋通り 日本橋久松町」と書かれた薄緑色の歩道橋を過ぎて「東日本橋」交差点を道なりに左、約180m先の「ガラ・ステーション東日本橋」のマンション角を右折、すぐ左側にあります。