鉄砲洲川跡を歩く!
今回の企画もかつて中央区に実在した河川跡を歩いてみようというものです。
そして、その河川は鉄砲洲川です。鉄砲洲川は隅田川の現湊二丁目付近で分流し明石町を流れ、築地川の明石堀に合流していました。
鉄砲洲川には鉄砲洲橋、小橋、見当橋、浦堀橋、新湊橋が架橋されていました。
その鉄砲洲川は震災後の復興計画事業として1929年までに埋め立てられ、現在は鉄砲洲通りとなっております。
隅田川の分流地点をスタートして築地川の明石堀跡を目指します。
しかし、その前に今回街歩きの成功を祈願して鉄砲洲稲荷神社にお参りいたしました。
隅田川からの分流地点はすぐに発見することが
できました。墨田川からの分流地点は中央区立
湊町第一児童遊園となってました。墨田川の
対岸にそびえるのは佃のリバーシティ21の高層
マンション群です。
その児童遊園の横に汐見地蔵尊がありました。
汐見地蔵尊の説明板によると「明治時代に
入り、この地に怪奇現象が起こり、川底から
一体の石像と、多数の人骨、歯牙歯骨が出
ました。人骨は両国の回向院に、石像と
歯牙歯骨はこの地に葬って供養してます。」
との記載ありました。
現在でも祠はとてもきれいに管理されており
近隣の方々の信仰を集めているのだなと
感じました。
鉄砲洲川はこの地点(現湊三丁目)で
鉄砲洲通りと交わり明石町を目指して
南下します。
佃大橋を過ぎるともうそこは明石町です。
(この写真は明石町から佃大橋の交差点を
撮影したものです。)明石町に入ると視界
広がります。明らかに街並み、区画が広く
なります。これは明石町が明治元年から
同23年まで外国人居留地になっていた
所以である。そのためこの後はミッション
スクールの発祥地が続くのであった。
青山学院記念の碑です。
女子聖学院発祥の地です。
明治学院発祥の地です。
そして、指紋研究発祥の地です。
この付近は歩道横が親水公園になっていて
とても気持ちよく歩くことができます。
そして聖ルカ通りを過ぎると、目の前は中央区立あかつき公園です。明石堀跡に到着です。
明石堀跡は現在あかつき公園になっています。今回の街歩きでは、鉄砲洲川の痕跡は発見できませんでした。しかし湊から明石町に入った時に、街の区画が明らかに広くなっていることに気が付きました。現在でも明石町は外国人居留地であったことを感じさせてくれる街並みでした。