「中央区とのご縁:渋沢栄一②」(日本橋、箱崎、新川エリア)
~永代橋際の日本銀行でお花見~
渋沢栄一が設立・運営に関わった日本銀行は創業当初、永代橋際にありました。現在の日本銀行周辺、また、かつて日本銀行があった永代橋際も桜の見所です。
渋沢栄一は日本銀行の設立・運営に尽力、永代橋際の日本銀行でお花見も?

渋沢栄一は、三菱財閥の初代岩崎弥太郎の弟の弥之助らと協力して日本銀行の設立に尽力し、日本銀行の割引手形審査のための割引委員となりました。
創業当初の日本銀行は、明治15年の創業以来、永代橋そばの日本橋区北新堀町(現在の日本橋箱崎町)にありました。現在は、創業当初の日本銀行の跡地、日本橋川の最下流にかかる豊海橋そばの箱崎側の歩道脇の植え込みに、創業時の日本銀行の建物を描いたプレートがはめ込まれた「日本銀行創業の地」の記念碑があります。創業当時の建物は、井上安治による浮世絵「永代橋際日本銀行の雪」(写真)にも描かれており、この浮世絵は、日本銀行向かいにある貨幣博物館の「春爛漫!桜咲く錦絵」展で展示されています。
土地勘のある方の中には、永代橋は新川一丁目から江東区に繋がっており、箱崎町は「永代橋際」ではないのでは、と気づかれる方がいらっしゃるかもしれません。実際に記念碑を探していただければ分かりますが、永代橋とは少し離れた場所にあります。実は、永代橋は以前、現在の架橋位置より150メートルほど上流にあり、明治30年に現在の場所に移転しましたので、明治29年に現在の日本橋本石町に移転するまでの日本銀行は、井上安治の浮世絵の通り「永代橋際」にあったと思われます。
現在の日本銀行周辺、また、「日本銀行創業の地」のプレート周辺も、「中央区桜の見所マップ」で桜の見所として紹介されており、当時、渋沢栄一は永代橋際にある日本銀行を訪れて、お花見をしていたのかもしれません。タイトル写真は、日本銀行と江戸桜通りの桜です(4月8日時点)。
貨幣博物館の「春爛漫!桜咲く錦絵」展、並びに、「中央区桜の見所マップ」は、以下のブログをご覧ください。
「春爛漫!桜咲く錦絵」展:https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=5722
「中央区桜の見所マップ」:https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=5763
【参考文献、出展】
区のおしらせ「ちゅうおう」、日本橋図書館館報、中央区桜の見所マップ(中央区環境土木部水とみどりの課)、貨幣博物館、東京証券取引所、東京商工会議所、KABUTO ONE
書籍:渋沢栄一の志を継ぐ日本橋兜町・茅場町の歴史散策(京橋図書館所蔵)、新装版 渋沢栄一(時事通信社)、渋沢栄一 日本のインフラを創った民間経済の巨人(ちくま新書)、渋沢栄一 社会企業家の先駆者(岩波新書)、渋沢栄一 「日本近代資本主義の父」の生涯(幻冬舎新書)、渋沢栄一を知る辞典(東京堂出版)、渋沢栄一伝 日本の未来を変えた男(小峰書店)、渋沢栄一 よく集め、よく施された(ミネルヴァ書房)、渋沢栄一 日本近代の扉を開いた財界リーダー(PHP)、雨夜譚 渋沢栄一自伝(岩波書店)、お札に描かれる偉人たち(講談社)、建築探偵の冒険(ちくま文庫)、渋沢栄一の足跡をたどる旅(講談社)
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