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2022 銀座の柳 浅緑色の芽吹きの煌めき

 2022 銀座の柳 浅緑色の芽吹きの煌めき

 ヤナギは、ヤナギ科ヤナギ属の落葉 高~低木の総称ですが、単に「シダレヤナギ」を指すことも多いようです。         柳の和名の由来は、①矢の材「ヤノキ」転化説 の他 、②簗の材「ヤナキ」の意、③柔萎木(ヤハナエキ)の意等、諸説あるようです。  シダレヤナギは中国中部原産で、日本には古く渡来し、万葉集にも、早春の景物として数多く詠まれています。         雌雄異株で、枝は柔軟で長く下垂し、春先、尾状花序を付けます。生命力が旺盛で、呪力をもつ神木と考えられ、か細いながら、しなやかで、古来「柳眉」「柳腰」「柳髪」「柳態」と美人を形容する言葉にも多く用いられてきました。             「銀座の柳」は、明治6年煉瓦街誕生の際、銀座通りに街路樹として植栽された松·楓·桜が根付かず、代わりに柳に順次植え替えられて以降、昭和初期には、銀座のシンボルとして「東京行進曲」「銀座の柳」の歌詞にも登場するなど、一世を風靡し、人々に親しまれてきた様子がうかがえます。                    ①大正10年車道拡幅整備、②大正12年関東大震災、③昭和20年東京大空襲と、幾多の存亡の危機を乗り越えてきた「銀座の柳」でしたが、昭和43年、銀座通りの歩道大改修、共同溝建設に際し、樹勢の衰えもあり、日野市の建設省苗圃に移植止むなきに至りました。                   平成を経て令和の今日、「銀座柳通り」「西銀座通り(外堀通り)」「御門通り」「銀中通り」「演舞場通り」に柳並木が見られ、随所に当時を物語る石碑が設置されている他、地元有志の尽力により、苗圃で3本残っていたとされる "銀座の柳" の枝を挿し木して、心を込めて育て復活させた "2~4世柳" が、泰明小学校前、御門通り、京橋公園などに植栽され、昔日を偲ぶことができます。         「銀座柳通り」と昭和通りを挟み三吉橋まで繋がる街路には、600mにわたり約110本の柳並木が続きますが、芽吹いたばかりの浅緑色の若葉が風に揺られて、春の陽に清らかに煌めいています。