銀造

築地本願寺 令和4年10月の参拝カード

 10月の参拝カードと、「報恩講をご縁に」という冊子を頂戴してきました。

10月の参拝カードの言葉は、種田山頭火の詠んだ「どうしようもない わたしが歩いている」です。

種田山頭火は、旅をしながら沢山の俳句を詠んだことで有名ですね。

この言葉が入っているのは、

「分け入っても 分け入っても 青い山 まっすぐな道でさみしい

 どうしようもないわたしが歩いている うしろすがたのしぐれてゆくか」という作品です。

種田山頭火は僧侶の姿をして、托鉢をしながら旅をして、俳句を詠んだ人だそうです。

ちょうど、参拝カードの下に置いてある、「報恩講をご縁に」の冊子の表紙に姿が描かれているかの様です。

参拝カードの趣意

 「どうしようもないわたしが歩いている」について、カードの裏面には、次のことが書かれています。

「何をやってもうまくいかないなぁ、どうしてこうなるのかなぁ」 そんな風に感じることってたまにありますよね。そんな時は仏さまの前に座ってゆっくりしてみませんか?

「私があなたとともに歩んでいるから、安心してまた一緒に歩いていこう」と呼びかけてくださっています。

 

 

「報恩講をご縁に」という小冊子 読んでみましょう

その小冊子6の中に、良いことが書かれていましたので、ご紹介します。

 『年をとれば、別れはつきものです。私も数年前に祖父母を亡くしました。 祖父は厳しい人で、よく怒られました。

  「ちゃんと挨拶しなさい」「綺麗に食べなさい」「勉強しなさい」

 亡くなるとそうした言葉をかけてもらえなくなるのですが、ふとした時、祖父の言葉や顔を思い出すことがあります。 「こういうときのためにじいちゃんは言ってくれていたんだな」

「こんな態度とってたら じいちゃん怒るかもな」

 私たちは「生きている人」たちだけで暮らしているのではないようです。 「亡くなった人」の言葉や思いを大切に思い、受け継ぎながら、「亡くなった人」が見ても恥ずかしくないように生きていこうとしているのです。 私たちは決して一人ではないはずです。

生きている人はもちろん、亡くなった方も仏となり、さとりの世界から見守ってくださっています。「生きていく」とは、多くの「眼差しの中」で生かされていることなのです。』