駿河町の「亀の尾」(II)
2017年11月17日に書いたブログ「待合茶屋「亀の尾」では、有名な明治時代の待合茶屋の一軒に『駿河町の亀の尾』入っていること、歌舞伎の演目に「亀の尾」があることを紹介しました。この度中央区観光協会観光検定の受験をするのに当たり追加問題項目『芸能』を勉強する中で歌舞伎の演目「亀の尾」について知ることが出来ましたので追加で紹介します。
初期歌舞伎の猿若の系統は、座頭(主役)・若衆方・道外方の三層に分かれますが、「亀の尾」のような道外方(どうげかた)は役柄は江戸歌舞伎の看板や番付で3枚目であったことから、役柄が収縮していった。現代でも芸能で「三枚目」は一段下げて見られます。物語性が重視され通し狂言が減る中で、三枚目は徐々に立役や端役の演技に吸収されました。そのため「亀の尾」の上演も減少しました。初代が蓬来屋~八代目が立花屋に継続しました。
亀の尾を得意としていたのは八代目市川八百蔵でしたが、1905年(明治38年)主演で歌舞伎化されそれ以降端役であるということから次第に演じられなくなりました。棟続きの長屋3軒に住む三軒のテナント、右端が鳶頭の政五郎、左端が一刀流の剣道道場を開く楠運平橘正國、挟まれたのが高利貸しの伊勢谷勘右エ門の妾。左右が朝から晩まで音がうるさいので追い出したいと考え、高利貸しが体よく転居させようというたくらみをする話です。詳細はまたの機会に!鳶頭の大掛かりな奇策が退けるという内容。
歌舞伎の題目にしてはジミですから、次第に演じられなくなるというのは当然かもしれません。
【参考文献】
1. 落語の江戸を歩く 吉田章一 青蛙房
2. 中央区沿革図集: 日本橋編
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