ぴっか

七夕の日に井戸浚い(さらい)!?

歌川広重『名所江戸百景 市中繁栄七夕祭』国立国会図書館デジタルコレクション

地名が明記されている『名所江戸百景』の中でこの七夕の絵だけは「市中」となっていて地名がわかりません。しかし歌川広重が住んでいた日本橋大鋸町(現在の京橋)の風景と言われています。七夕の日広重は自宅から七夕飾りが林立するこの風景をみて江戸の繁栄を感じていたのでしょう。屋根よりはるか高い七夕飾りが競うように並んでいます。華やかで圧巻の景色です。たくさんの紙の飾りをつけた笹を屋根より高いところにくくりつけた大掛かりな七夕飾り……七夕当日を迎える前に大雨が降ったらどうするのでしょう。紙の飾りはボロボロになってしまいそう。屋内に出したり入れたり簡単にできるのでしょうか?心配になってきました。

七夕飾りは何日間飾る?

七夕飾りは何日間飾る? 七夕の日に井戸浚い(さらい)!?

菊池貴一郎『江戸府内絵本風俗往来』国立国会図書館デジタルコレクション

なんと七夕飾りを飾っているのはたったの1日。6日に飾り付けて7日の夕方には取り払って川に捨ててしまうのです。川や海に投棄することは環境汚染につながると教えられてきた現代人からするとこれだけたくさんの笹飾りを川に捨てるというのが当たり前ということは驚きです。地方によっては七夕に願いをこめて小さな笹に短冊をつけたものを川に流す笹流しという行事もあるのでそれに近いものなのでしょうか?とりあえずたった1日なので七夕当日までに飾りがボロボロになってしまわないかという私の心配は無用のものでした。

『江戸府内絵本風俗往来』によると7月6日に竹を商うものが竹を担いで「竹や~竹や~」と声を響かせながら売り歩くそうです(絵右側のページ)。「毎戸裏屋にいたるまで」必ず買い求めるそうです。必ずっていうのはいくらなんでも大袈裟なのではと思いましたが喜田川守貞の『守貞謾稿』に大阪の七夕は手習いをしている子どもが五色の短冊に詩歌などを書いて青笹に飾り付け芸道師範の家に持ち集まり太鼓などを打って終日遊ぶものだが江戸では子どもがいる家もいない家も貧富にかかわらずどの家も各家で必ず青竹に短冊を付けて高く屋上に飾り付けた。とあるので江戸ではすべての家が竹を買い求めるというのは大袈裟ではなかったのかもしれません。ただし喪中の家は七夕飾りはやらなかったようです。

では飾りはどのようなものだったのでしょうか。飾りは自作したり購入したりしていました。「短冊売り」が棒に色とりどりの短冊をぶら下げて売りに来ていたようすが清水清風『世渡風俗図会』に描かれています。『絵本風俗往来』によると「ほうづきを幾つとなく数珠の如くつらねたる」とあります。1枚目の広重の浮世絵の右端(スイカの飾りの上)に赤い丸がつながっているのが見えますがこれがほうづきでしょうか。「色紙にて切りたる網井」これは今でも網飾りとして七夕飾りにあるものでしょう。折り紙にハサミを入れて網模様になるように切ってあるものです。広重の浮世絵にも『江戸府内絵本風俗往来』にも比較的大きく網目模様の三角形が描いてあるのがそれですね。「吹き流し」「硯、筆」「スイカの切り口」「鼓、太鼓」「算盤」「大福帳」「」「」などがあります(上記の絵には見当たらないが参考文献に示されていたものも含む)。これらは全て紙製です。紙を切り抜いただけでなく竹骨で補強したものもあったようです。子どもの書道の先生は子供たちに七夕の詩歌を短冊に書かせて筆道の上達を願ったようです。大福帳や算盤も商家が商売繁盛を願ったのでしょう。『守貞謾稿』に取り上げられていた飾りでよくわからなかったのが「枕の引き出しより灸の出たる形」枕の引き出しとは箱枕の台の部分に付けた小物入れの引き出しのことでしょうか?そこから出た灸の形とは?またこの飾りが何の意味があるのか。なんの願をかけたものなのか。引き続き調べたいです。

井戸浚い(さらい)

井戸浚い(さらい) 七夕の日に井戸浚い(さらい)!?

黒川真道 編『日本風俗図会』国立国会図書館デジタルコレクション

「今日は井戸中井戸浚いを挙行す上(かみ)は諸侯下(しも)は裏々の共同井戸に至るまで皆水を汲み干して浚ふ」江戸の華やかな七夕飾りに思いをはせていると『江戸府内風俗往来』に井戸浚い(さらい)の項目が。どうも七夕の日に江戸の町中が一斉に井戸浚いをするらしいことを知りました。江戸の町は埋立地のため井戸を掘っても塩分の強い水しか出ず飲料水の確保に悩まされていました。そこで神田上水、玉川上水を引き町中に水をいきわたらせたのです。それもポンプなどを使っていません。土地の高低差を利用し木製の樋を地中に張り巡らせ水を流し、そこから竹樋で各井戸に水を引きました。素晴らしい上水道技術ですね。すべての井戸が地中でつながっているので一斉に大掃除をしないとどこかで汚れたままだとその先の井戸にも汚れた水が流れてくることになります。そのため日にちを七夕に決めて一斉に掃除をしたのでしょう。この掃除は7月6日から始めて7日の午前中には終わらせることになっていたようです。市中の家庭から一人ずつ出て井戸職人の手伝いをしました。その手順はまず井戸の化粧側(地上に出ている部分)をはずし、車で綱を下げ(上の絵では木の股に綱をかけているようです)大桶をおろし共同井戸を使っている人々が皆で出て力を合わせて曳くことで水をくみ上げます。その様子が上の絵です。井戸の水を7分ほど汲み干したら次は井戸職人の出番です。井戸職人が井戸の中に入り、井側を洗い底に溜まったものを拾いだしすべて汲み干します。その後また化粧側を元通りに取り付けて終了。最後にお神酒と塩をお供えします。深い井戸の中での作業は危険を伴うので職人が行ったのでしょう。

なぜ七夕に井戸浚いをしたのか?推測してみます。江戸時代旧暦の七夕は8月。暑い時期に井戸を掃除することで疫病を防ぐ効果もあったかもしれません。すべての家が参加する行事の七夕の日に井戸浚いをすると決めることで広い江戸市中で誰も忘れることなく井戸浚いに参加できたのではないでしょうか。また七夕が終わるとすぐ7月13日から15日は盂蘭盆会です。きれいな水でご先祖様をお迎えするという目的もあったかもしれません。

なぜ七夕に井戸浚い!?と思いましたが実は理にかなった行事のように思いました。

歌川広重住居跡

歌川広重住居跡 七夕の日に井戸浚い(さらい)!?

歌川広重住居跡  京橋1-9-2

広重が住んでいた場所は今やビルが立ち並ぶ街。広重の住居跡もビルの新築工事の真っ最中。笹飾りの代わりにクレーンが空高くそびえていました(2023年5月末)。広重もこのような景色になることは想像してもみなかったでしょう。

今年の七夕はみなさんどのようにお過ごしになられるでしょうか。小さいお子さんのいらっしゃらないご家庭では七夕飾りをすることはないかもしれません。飾りをしなくても願いを考えてみたり江戸時代の行事に思いをはせてみてはいかがでしょうか。

【参考文献】

『江戸府内絵本風俗往来』菊池寛一郎 青蛙房

『近世風俗志(守貞謾稿)』喜田川守貞 岩波文庫