日本橋の焼き芋美味しいらしいよ?
『守貞謾稿』喜田川守貞 国立国会図書館デジタルコレクション
江戸時代に焼き芋を買うといえば上の絵の右角「番人小屋」と書いてあるお店のようなところでした。しかしここは実は江戸町人の安全を守る場所であり、お店は副業でした。
江戸の町人町の安全は町奉行支配下の八丁堀の与力、同心で守っていましたが、市中の見回りをする廻り方同心は十数人しかいませんでした。それでは心もとなかったようで町人は自衛のためにまず通りの角に「木戸」を作り夜間や非常の際はこれを閉じて通行を遮断しました。上の絵の大通りから小路への入り口に「木戸」と書いてあるのがそれです。
「木戸」の開閉を行うのは「番人小屋」にいる番人です。「番太郎」とも言います。番太郎は住み込みで働いていました。木戸は夜の四ツ(午後十時)に閉め原則通行止め。どうしても通りたい人がいればわきの潜り戸から出入りさせ木戸番(番太郎)が拍子木を打って通行人がそちらに向かっていることを次の町の木戸番に知らせます。そうすることで不審者が町の中で行方不明になり犯罪につながることを防ぎました。では夜鷹そばも夜十時に閉店?とおもいきや夜鷹そばは深夜に営業していたようです。ちなみに朝は明け六ツ(午前六時)に木戸が開けられます。
番太郎のその他の仕事は火事があったとき半鐘を鳴らすことです。絵の番人小屋の屋根に乗っている柵で囲われているようなところは「火の見」と書いてあります。ここに半鐘はないようなのでこの絵の火の見は火事が起きていないか遠くまで見渡す場所でしょう。私には天水桶(火事のために防火用水をためておく桶)に見えるのですが……。どうなのでしょうか。
番太郎の給料は少なかったので日用品、焼き芋、駄菓子を売ったりもしていました。上の絵で商品が並んでいるのがそれですね。商っていたものについては次の章で見ることにして「番人小屋」の向かいの「自身番所」とはなにか見てみましょう。
「自身番所」を「番屋」といいます。「番人小屋」を番屋というのかと混同しがちですが「自身番所」が「番屋」です。今でいう「交番」と「警察署」を兼ねたようなところでした。各町内に1つづつあり、はじめは家主と町役人が交代で詰めていましたが後には専門の親方と呼ばれる人を置くようになりました。
棒や刺股などが置いてあり犯罪者を捕らえると先ず「自身番所」へ連れていき同心や岡っ引が下調べをします。酔っ払いを朝まで留置するのにも使っていたようです。同心や岡っ引のたまり場になったり町内の寄り合いなどにも活用されたそうです。
では、「番人小屋」で焼き芋のほかに何を売っていたのかみてみましょう。
町のコンビニ
守貞謾稿によると「草履、草鞋、箒の類、鼻紙、蝋燭、瓦、火鉢の類」などの日用品は番小屋で手軽に購入できました。草履、草鞋もここで買えたのでわざわざ草履や草鞋を店に置いて販売する商店は少なかったそうです。季節ものとしては「冬は焼き芋」「夏は金魚」。子どもの喜ぶ駄菓子も。「麁(そ)菓子」という駄菓子を一つ四文で売ったそうです。この駄菓子は俗に「番太郎菓子」といったようです。どんな駄菓子だったのでしょうか。黒砂糖で作った安価なお菓子だったそうです。黒糖は白砂糖より安価でもビタミンB群が含まれ疲労回復効果があります。体が喜ぶお菓子だったのでしょうね。足りないものがあったら番小屋でというちょっとそこまでのコンビニのような役目をしていました。
焼き芋の口コミ
冬になるとどこの番人小屋(番太郎の店)でも焼き芋が売られていました。番人小屋でなくてもあちこちに焼き芋屋がでていたようです。どこで買うか迷いますね。冬場は寒いし遠くまで行くのは大変だから近くの番人小屋で済まそうという人も多かったと思いますが。せっかくだから美味しいお芋を食べたくはありませんか?
ありました。現代でいう口コミ。池寛一郎菊(四代目歌川広重)が『絵本風俗往来』で美味しい焼き芋を売っているお店を書いているので要約してみます。「江戸市中冬場は焼き芋の店のないところはなく、木戸際の番所(番太郎の店)には必ず焼き芋が売られていた。御外曲輪見附御門外御掘端にある焼き芋屋は必ず店が大きく丸焼きいもとしるした看板行燈も巨大である。この大きい店の焼き芋は味が粗く香りが薄い。従って価格も安い。日本橋附近の立て込んだ町中にある焼き芋は必ず甘く香りがいい。川越本場の芋を使っていて価格も高い。(以下略)」となっています。
焼き芋の評判についてはこの文献しか見つからなかったので、菊池寛一郎の好みによる口コミですが日本橋の焼き芋は川越産の芋を使っていて美味しかったようです。
今も川越産のお芋は評判が良いですよね。川越藩の領地だった現在の三芳町では江戸時代から木々を植えて平地林を育て、集めた落ち葉を発酵させたい肥にする伝統的な農業で「富の川越いも」を作っているそうです。江戸時代に生きていたら是非日本橋まで買いに行きたかったですね。
焼き芋屋のある風景
歌川広重『名所江戸百景 びくにはし雪中』国立国会図書館デジタルコレクション
現在の銀座1丁目西銀座JCT付近です。
比丘尼橋(びくにはし)は京橋川にかかっていた橋で外堀と合流する手前にありました。関東大震災後改架となり橋の名前も城辺橋と改称されました。このあたりの外堀沿いを城辺河岸と呼んでいたことに由来するようです。絵の右側、松と石垣が見えるあたりが外堀です。松と石垣の向こうは大名の居住区である大名小路。南町奉行所もあります。橋の向こうに見える火の見やぐらは数寄屋橋御門の辺りでしょうか。天秤棒で箱を担いで橋を渡ろうとしているのはおでん屋のようです。田楽や煮込みおでんとともに熱燗も売っていたそうです。寒い日にはうれしいですね。左手前の「山くじら」は尾張屋というイノシシ鍋の店。右手前が焼き芋屋。看板行燈の「〇やき」は丸のまま焼いた芋。「十三里」は江戸から十三里のさつまいもの名産地川越をあらわし十三里と言えばさつまいものことです。「栗(九里)より(四里)旨い十三里(九里+四里=十三里)」とも言われます。でも十三里と書いてあっても川越産とは限らないかもしれませんね。比丘尼橋の焼き芋のお味はどうだったのでしょうか。
参考文献
『守貞謾稿』 喜田川守貞 岩波文庫
『絵本風俗往来』 菊池寛一郎 青蛙選書
『町奉行』 横倉辰次 雄山閣
『郷土資料室だより』168号 中央区立京橋図書館