楓川は「もみじがわ」?「かえでがわ」?
今は首都高になっている、楓川のお話です。
上の画像は都営浅草線の宝町駅に設置されている案内地図の一部ですが、外国人向けなのかローマ字が併記されています。
楓川に架けられている橋には橋詰公園が多く設けられていますが、その公園の表記をよく見ると・・・久安橋公園は「もみじがわ」、宝町公園は「かえでがわ」になっています。んん?どういうことなんでしょう??
中央区の歴史に興味を持つようになってから、「もみじがわ」表記と「かえでがわ」表記、どちらにも結構出会いました。(そういう人、多いんじゃないでしょうか?)
というわけで、いったいどういうことなのかをちょっと調べてみました・・・
「かえでがわ」派
実は冒頭の地図で、久安橋公園以外の橋詰公園は、宝橋に限らず、「かえでがわ弾正橋公園」「かえでがわ新富橋公園」など、すべて「かえで」になっているようです。(新富橋が架かっているのは楓川ではなくて『楓川築地川連絡水路』なのでは・・?というツッコミは置いておきましょう:笑)
あと、宝町駅以外の駅ではどうなのかというと、都営線日本橋/メトロ茅場町/メトロ京橋の各駅の地図では、久安橋公園も「かえでがわ」になってるようです。(全部見たわけではありませんが)
これらの橋詰公園は中央区立公園なので、電話で「中央区環境土木部水とみどりの課」さんに問合わせてみたところ丁寧に調べてくださり、「区としては『かえで川』で統一しているつもりなのですが・・」とのことでした。写真左の、弾正橋近くにある区立住宅も「八丁堀かえでがわ住宅」となっていたりして説得力あります。
そもそも久安橋公園自体には「Kaedegawa-Kyuanbashi・・」というモニュメントが作られています(写真右)。
ということは、普通に考えれば「宝町の地図の書き間違い」ということになるんでしょうけど、コトはそう単純ではありません。「もみじがわ」事例はまだまだあります。また、「久安橋公園『だけ』がもみじがわになっている場合がある」というのは、実はもしかしたら深い意味があるのかも・・・?という理由も後でご説明します。
「もみじがわ」派
兜町の、中央警察署のあるあたりには、以前「都立紅葉(もみじ)川高校」がありました。現在は江戸川区に移転していますが、跡地を記念するモニュメントが警察横に残されています(写真左)。
そしてそこには『校名の由来は、皇居内の紅葉山を水源とする「もみじ川」と「日本橋川」の合流地点に位置した当地に因み、楓川の名が用いられた』と、驚きの記載が!
また、写真右は中央区教育委員会が設置した「三つ橋跡」の説明板の一部ですが、ここにも「もみじ」と、わざわざふり仮名がつけられています。
紅葉川高校さんに電話で問い合わせてみたところ、あのモニュメントは高校では無く、教育委員会が設置したものだとのこと。どうやら教育委員会としては「もみじ川」イチ押しのようにも思えます。
あと、中央区観光検定公式テキストの「中央区ものしり百科」も、本文で教育委員会設置の説明板に言及していることが多いからなのか、読みはすべて「もみじ川」で統一されています。観光検定自体も、楓川には「もみじがわ」と読み仮名が振られて出題されていますね。
紅葉川(もみじがわ)と楓川(かえでがわ)
どうして2種類の読み仮名が混在しているのか?
色々調べていくと、京橋図書館の「郷土室だより」のバックナンバーに説得力のある記事を見つけました(第71号、72号、111号)。ちなみにこれらの記事の中では楓川はすべて「かえで川」という読みで統一されています。郷土室だよりはこちらで読めます。
全文引用するととても長いので、かいつまんで書きますと・・・
1)江戸幕府開府まもなく、江戸前島を東西方向に掘削した何本もの水路が誕生した。紅葉川(もみじ川)もその中の1つ。
2)同時進行で茅場町・八丁堀方面の埋め立て工事も行われたが、その際に水運を考慮して、江戸前島とは少し隙間を空けて埋め立てた。この南北に長い隙間の水路が楓川(かえで川)。
とにかく「楓川」単独ではなく、かつて存在した「紅葉川」と対比することで色んなことが腑に落ちるように思えます。また、著者は最後に『カエデが紅葉するとモミジ。逆にモミジはカエデの代名詞でもあります。どちらにしてもこの2つの水路は一体の関係にあったことを物語る洒落た命名だったわけです』と結んでいます。
※原文のまま引用しましたが、『カエデが紅葉すると・・』のくだりは著者の個人的見解かと思われます。それよりも、「もみじがわ」「かえでがわ」という2つの川(水路)が同時期に存在していた、というところがポイントです。
※※上の写真は1632年頃とされる寛永江戸図の1つに、郷土史だよりをもとに私が勝手に加筆したものです。(寛永江戸図はたくさんの模写がありますが、写真は国会図書館所蔵のものです。書誌ID:000000744054)
紅葉山(もみじやま)の話
上の写真も寛永江戸図からの抜粋です(出典は同じ)。
紅葉川高校の由来碑に登場してきた江戸城内の紅葉山ですが、これは実在していた山(築山?)です。21世紀の現在でも、『紅葉山御養蚕所』にその名をとどめています。
ただ、紅葉川も楓川もそれぞれ人工の水路だったことを考えれば、由来碑にあった「紅葉山を水源とする・・」というのは、さすがに後世の人が考えたファンタジーなのかもしれませんね(^^)
楓川は比較的最近(1960年代)まで残っていました。ところが紅葉川のほうは正保年間(1644~47)には西半分が埋め立てられて中橋広小路(火除け地)になりました。そして1843年には完全に姿を消したようです。
紅葉川が消えたのに、紅葉山と楓川だけが残ってしまったことが「楓川=もみじがわ」になった原因なのかもしれないですね。
そして再び久安橋
こう書いてくると、なんだか楓川は「かえでがわ」が正解で「もみじがわ」が誤用だと主張しているように読めるかもしれません。たしかに、紅葉川と楓川が両方存在していた頃は、両者を呼び分けていないと紛らわしかっただろうな、とは思います。
しかし、固有名詞の読み方は方程式で決まるようなものではないので、21世紀の現在、「もみじがわ」と呼ぶ人が多ければ、「もみじがわ」でもいいんじゃないかと思います。ただ、「もみじがわ(orかえでがわ)と読むのが唯一無二の正解だ」と信じ込まないように気を付けないといけないですね。
ちなみに、人名(苗字)で楓川さんというと、なぜかほぼ100%、「もみじがわ」さんと呼ぶようです(私の知り合いにもいます)。意外とそちらの影響もあったのかもです。
最後に、紅葉川水路の位置ですが、現在の地図だと、八重洲通りの久安橋から外堀通りまでの区間に相当するようです。そうです、ここで冒頭の久安橋が再出現!
なので、冒頭の都営線の地図で、なぜか楓川久安橋公園だけが「もみじがわ」と表記されているというのは、もしかすると「久安橋のあたりは旧紅葉川の起点(終点)だった」という穿った意味が込められていたと思えば納得ですね(^^)