中央区の歩道っておもしろい!27 【日本初の歩道 銀座通り】
こんにちは、湊っ子ちゃんです。
今日は、中央通りのなかでも、銀座一丁目から銀座八丁目にかけての、古き佳き時代から親しまれる呼び名でいう、”銀座通り”を歩きたいと思います。
日本ではじめて歩道が誕生したのは、ここ、銀座通りなのです。
♪ 銀座通りの歩道舗装は都電の敷石?
明治6年(1873)、銀座煉瓦街に欧風道路が完成しました。道の中央は馬車道とし、左右は人が歩くための、歩道として区別されました。両者のあいだには縁石が敷かれ、歩道は赤煉瓦で舗装されました。日本ではじめての”歩道”の誕生です。
さて、現在の歩道は、昭和43年(1968)の大改修工事において完成したものです。じつはこの舗装に、ちょっとした工夫がなされているのです。
明治36年(1903)から昭和42年(1967)まで、銀座通りには都電が走っていました。都電が廃止された際、その敷石だった御影石を、歩道に再利用したのです。そう思うと、歩くときに夢が広がりますね!
♪昔恋しいや銀座の柳
明治10年(1877)、銀座通りにはじめて柳が姿を現します。昭和62年(1987)、区制40周年を迎え、永いあいだ銀座のシンボルとして愛された柳は、区の木として選定されました。
時は変わり、銀座通りを彩る木が、ここ最近イチイからカツラへとバトンタッチしましたが、じつは、銀座の柳の末裔が、今も銀座界隈の各地で暮らしています。ふと気づくと、”銀座の柳2世”や、”3世””4世”などと書かれた看板をお伴に、すっくと立っている姿に出会うことがあります。
★ ヒント:公園や、学校の校門前、歩道上にいます!探してみてくださいね!
♪ 銀座の街路灯のうつりかわり
明治5年(1872)、銀座通りにはじめてガス灯がともりました。銀座1丁目のガード下に、「銀座煉瓦街の碑」があります。ここに立つガス灯は、明治7年の実物なんですって!足元に敷かれた赤煉瓦も、昭和62年(1987年)に発掘されたものなのだそうです。
明治15年(1882)には、銀座2丁目にアーク灯(狐光燈)がともりました。米国ブラッシュ会社の技師が持ち込んだのです。これが東京の電気灯のはじまりとなり、その後広まってゆきました。
じつは、今もこの場所には、一本のアーク灯が立っているんです。ビルの壁には、錦絵「東京銀座通電気燈建設之図」が彫刻されています。ちょうど、銀座通りとマロニエ通りの交差する辺りです。
現在の街路灯にリニューアルされたのは、平成27年(2015)のことです。この照明には、作品名とコンセプトがあるんですって!
作品名「FOUR S FOR S」。コンセプトは、4つのS。「最新技術」「再生(リサイクル)」「省エネルギー」「象徴性」そして、「サスティナブル(継続可能)」な社会や環境形成のために、世界に先駆けて実践する街、TOKYO。そういった意味が込められていたのですね。
♪ 銀座通りの地下には何がある?
銀座通りの歩道は、とても広いです。これは、当時から変わらないそうです。また、銀座通りには、歩行者への心配りを感じさせてくれる工夫が、随所に見られるのです。
なるほど、よく見てみると、車の出入りのための傾斜がありません。それに、地下鉄の入り口も静かなたたずまいで、マークも低い位置に設けられており、周りの景観に溶け込んでいます。おまけに、マンホールや電信柱、電線が見当たりません。これは、どういうことなのでしょう??
さて、その理由は、銀座通りの地下に、供給管共同溝という、電線や水道管等をまとめて埋設する空間があるからなのです。供給管共同溝が造られたのも、銀座通りが日本ではじめてなのです。
供給管共同溝があるおかげで、電話やガス、水道等の工事の際も地面を掘り返す必要がなく、車の渋滞緩和にもつながり、災害時にもインフラを守る役目をしてくれます。
このように、銀座通りは、未来へとつながる、”歩くだけで楽しい道” ですね。
中央区観光協会特派員 湊っ子ちゃん
第52号 令和元年6月4日