ウォーターズ竹芝 → 浅草二天門
ほとんど中央区をクルーズします
隅田川9橋を中心にご紹介します(4-1)
~ 東京水辺ライン 浅草・お台場クルーズ ~
リモートで、愛する中央区をナビゲートします、rosemary sea です。
11月24日(木)、公益財団法人東京都公園協会が運営する「東京水辺ライン」という水上バスに乗りました。
「浅草・お台場クルーズ」コースの「ウォーターズ竹芝」発着場から「浅草二天門」発着場まで乗船しました。
隅田川を遡ります。
スタートのウォーターズ竹芝は港区、エンドの浅草二天門は台東区ですが、・・・。
航路のほとんどは中央区です。中央区をクルーズしています。
特に、隅田川の中央区内9橋が見どころのコースとなっております。
9橋を中心に、4部に分けましてご紹介したいと思います。
なお、タイトルには『続々 中央区 区境の風景』と付けたかったのですが、既に十分タイトルが長くなっておりますので断念しました。
続々~の前の『続~』につきましてはこちらです。
⇒ 2022年12月27日掲載「東京湾クルーズ『シンフォニークルーズ』から見た晴海などの景色 晴海客船ターミナル事情 ~続 中央区 区境の風景~」
ここウォーターズ竹橋の隣りが竹芝桟橋、またその隣りが日の出桟橋、となっておりまして、『続~』の際はその日の出桟橋から出航しました。
それでは・・・
冒頭画像でわかりますが、船名が『さくら』と記されています。
ウォーターズ竹芝
無料で休憩できるスペースとなっています。芝生にも入れるようです。
とても眺めの良い場所ですので、ランチを持ってきてここでいただくのもあり、です。
ここ自体は港区側になりますが、画像右手の森は「浜離宮恩賜庭園」、中央区です。
浜離宮恩賜庭園(はまりきゅうおんしていえん)
旧浜離宮庭園(浜離宮恩賜庭園)
浜離宮庭園1-1
ー 庭園の拡充が進んだ将軍家の別邸 ー
江戸時代初期は商銀家の鷹狩り場だったが、3代将軍徳川家光の次男で甲府藩主の松平綱重が、4代将軍家綱から拝領して下屋敷としてからは「甲府浜屋敷」「海手屋敷」などど呼ばれた。
さらに綱重の子、綱豊が6代将軍家宣(いえのぶ)になってからは「浜御殿」と称される将軍家の別邸となった。
江戸時代時代中期から後期にかけては、鴨場や茶屋が整備されるなど、拡充が盛んに行われた。
明治維新後は宮内省の所管となり、「浜離宮」と改称され、明治天皇もたびたび行幸(ぎょうこう)するなど、皇室園遊の地として使われた。
戦後は東京都の管理に移行して整備が行われ、昭和21年(1946年)から一般に公開されている。
海水を引き入れて水景を構成する潮入り(しおいり)の池などに江戸時代の大名庭園の特色が現存している。
昭和27年(1952年)、「旧浜離宮庭園」として国の特別名勝および特別史跡に指定された。
また平成22年(2010年)に「松の御茶屋」が復元された。
「松の御茶屋」は11代将軍徳川家斉(いえなり)の時代に作られたとされ、将軍の休憩や接待などの場として使われていた。
~ 歩いてわかる 中央区ものしり百科 より ~
ウォーターズ竹芝 発着場
(後ろの森は『浜離宮恩賜庭園』です。)
13時55分、出航です
スタッフさんがお一人、見送って手を振っています。
水門
(出航より1:35通過)
出航してすぐに、画像の中央に写っています水門を通過してきました。
水門はとても低く、くぐる際は船のデッキにいる乗客は全て、低い姿勢をとるよう指示がありました。
その際は当然、撮影などもってのほか、です。
隅田川を遡上しますが、ここからずっと、左岸も右岸も中央区、です。
① 築地大橋
(出航より4:21通過)
中央区内9橋の最初の橋、築地大橋が見えてきました。
全長245m、幅は32.3m~48.0m、鋼3径間連続中路式アーチ橋です。
下流側からの撮影になります。左岸は築地5丁目、右岸は勝どき5丁目です。
左岸の先には築地場外市場があります。
隅田川最下流の橋、ということは中央区においても一番下流の橋、ということです。
まだ新しい橋ですね、平成30年(2018年)11月の開通です。
豊洲市場への移転のための橋、東京オリンピック開催のための橋、という位置づけが印象に残ります。
築地大橋のフォルムはとても美しいです。
なお、築地大橋を越えたところ、隅田川の下を都営地下鉄大江戸線が通っています。
MAP
今回のご案内は、最下部やや左のウォーターズ竹芝発着場から右ななめ上方向に上昇した赤ラインの航行部分です。
計4回で、最上部の浅草二天門発着場までご説明させていただきます。