rosemary sea

『銀座』はどこまで?
 銀座を一周してみましょう! ⑱終
  ~ 国鉄踏切警報機・銀座ときめき橋 ~

リモートで、愛する中央区をナビゲートします、rosemary  sea  です。

 

「『銀座』はどこまで? 銀座を一周してみましょう!」シリーズ、今回は第18回。

なお、銀座一周は今回で完遂です。

従いまして、このシリーズは第18回の今回が最終回となります。

2023年1月28日の第1回より毎月1度の掲載を繰り返しての最終第18回です。

(※ 来月、「番外編」を載せさせていただきます。)

今回は「国鉄踏切警報機」、「銀座ときめき橋」をご紹介します。

なお、「昭和通り銀座歩道橋」、「蓬莱橋(ほうらいばし)交差点 銀座8丁目歩道橋」につきましても述べさせていただきます。

 

国鉄踏切警報機
(画像は冒頭の1枚です。)

銀座8-20-26にあります。

ここは本当に『銀座のはずれ』になりますね。

 

国鉄踏切警報機

ー 半世紀以上使われた貨物引込線の踏切警報機 ー

昭和6年(1931年)から昭和62年(1987年)までの56年間、国鉄汐留駅から旧東京都中央卸売市場築地市場があった東京市場液までの貨物引込線の踏切警報機として使用されていたもの。

最盛期には、1日150輛に達する貨物車が通過したが、汐留駅廃止と共に引込線も撤去されることになった。

しかし地元住民の要望により、銀座には珍しい鉄道踏切警報機として現在も保存されている。

~ 歩いてわかる 中央区ものしり百科 より ~

 

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  ~ 国鉄踏切警報機・銀座ときめき橋 ~

保存理由

元この高速道路の下には汐留川が流れ、鉄橋も架っていました。

汐留駅は、わが国の鉄道開業当時における始発駅の新橋駅でしたが、大正3年(1914年)東京駅が中央駅になると、ここは貨物駅になりました。

大震災後、築地に東京市中央卸売市場が完成すると、汐留駅と市場間に荷物運搬のための線路がしかれ、大きな働きをしたのです。

都民の暮しの台所を支えて来たこの信号機を、国鉄廃止に当り捨て去られるのにしのびず、東京都中央卸売市場築地市場、東京都第一建設事務所並びに中央区教育委員会、地元各位の多大な御協力に依り、ここに永久保存されることになりました。

銀座八丁目町会・銀座御門通り会・銀座金春通り会

 

昭和通り銀座歩道橋
(銀座東7丁目交差点)

昭和通り銀座歩道橋
(銀座東7丁目交差点) 『銀座』はどこまで?
 銀座を一周してみましょう! ⑱終
  ~ 国鉄踏切警報機・銀座ときめき橋 ~

このシリーズのスタート地点に戻ってまいりました。

昨年1月28日のシリーズ第1回でご紹介しました、汐留遺跡の上にあります歩道橋です。

その第1回の際は、汐留遺跡をご紹介させていただいただけで、歩道橋上は最終でご紹介、と申し上げました。

正式名称「昭和通り銀座歩道橋」も申し上げないままで。

ですから今回は「昭和通り銀座歩道橋」の歩道橋上です。

先の道路は中央市場通り、左右が昭和通り、後方が花椿通りです。

この複雑な形状の歩道橋上は、数々のTVドラマ・映画でロケが行われています。

 

銀座ときめき橋

銀座ときめき橋 『銀座』はどこまで?
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  ~ 国鉄踏切警報機・銀座ときめき橋 ~

(歩道橋上に「碑」があります。)

                      出雲出西窯製陶板

「ときめき」には、一つに心を打つような感情、もう一つに時勢に乗って栄えるという意味があります。  金田一春彦(国文学者)

 

『銀座ときめき橋』の由来

江戸初期、徳川幕府は出雲二十四万石堀尾吉晴にこの辺り一帯の土地造作を命じ、銀座8丁目界隈はその後「出雲町」と呼称されました。

平成5年銀座7・8丁目をつなぐ道路の改修が行われ『花椿通り』が誕生。

記念曲「ときめいて銀座」がレコード化され愛唱されました。

出雲市からは記念の出雲椿が寄贈され、今も私たちの目を楽しませてくれております。

平成9年昭和通り銀座歩道橋として竣工したこの橋を、江戸・明治期に新橋と花柳界をつなぐ男女逢瀬(おうせ)の橋として賑わったゆかりの地に因んで愛称『銀座ときめき橋』とし、近隣関係者参加のもとここに記念の碑を建立します。

平成13年6月10日

中央区

 

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  ~ 国鉄踏切警報機・銀座ときめき橋 ~

昇りのエスカレーター、降り口より撮りました。

先の道路は花椿通り、左右が昭和通り、後方が中央市場通りです。

この歩道橋には階段6、エレベーター2、エスカレーター2の設置がされています。

 

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中央左がエレベーター、中央右のゲートがエスカレーター(昇り)の降り口です。

これも先の道路が花椿通り左右が昭和通り、後方が中央市場通りです。

 

蓬莱橋(ほうらいばし)交差点 銀座8丁目歩道橋

蓬莱橋(ほうらいばし)交差点 銀座8丁目歩道橋 『銀座』はどこまで?
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「蓬莱橋」は、この近くにあった橋で、汐留川に架かっていました。

橋自体は現在はありませんが、交差点の名として残っています。

以前、後藤象二郎(ごとうしょうじろう ※1)の蓬莱社(ほうらいしゃ ※2)が、当時ここに木橋から再架橋された石橋に対して建設資金を提供した関係で「蓬莱橋」と名付けられたそうです。

※1 後藤象二郎【1838年(天保9年)~1897年(明治30年)】

江戸末期・明治初期の、土佐藩士からの政治家・伯爵・実業家。「坂本龍馬」のドラマには欠かせない登場人物ですね。

「大政奉還建白書」で土佐藩をまとめ上げ、明治政府の要職に就きますが「征韓論」で敗れ下野。

その後復活し逓信相、農商務相を歴任しました。

※2 蓬莱社

1873年(明治6年)、下野期の後藤象二郎を中心に設立された会社。現在の銀座8丁目にありました。

金融・為替の他、炭鉱・鉱山経営、製紙業、製糖業などの業務内容でしたが、即経営不振に陥り1876年(明治9年)に倒産しました。

 

前も上も歩道橋です。

「口」の字のような形をしています。

左右が昭和通り、前方が海岸通りです。

銀座8丁目は画像撮影地点の一角のみ、あとは港区です。

画像奥は港区汐留のビル街、主に日本テレビ放送網のビルです。

 

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  ~ 国鉄踏切警報機・銀座ときめき橋 ~

手前も奥も、ひとつの歩道橋です。

 

・・・第1回の際にも申し上げましたが、この銀座一周のコースは休憩なしで2時間半ほどの行程です。

中心部ではない、別アングルの銀座ウォーキング、ぜひトライしてみてください。

 

 『銀座』はどこまで?
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  ~ 国鉄踏切警報機・銀座ときめき橋 ~

「国鉄踏切警報機」は、中央左です。

「銀座ときめき橋」は、中央にある「昭和通り銀座歩道橋」上にあります。

「蓬莱橋交差点 銀座8丁目歩道橋」は、やや左上に位置します。

 

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  ~ 国鉄踏切警報機・銀座ときめき橋 ~

上の銀座全図の右下、緑のラインを進んで、赤い星印のスタート地点に戻りました。

銀座一周、コンプリートです。