湊っ子ちゃん

連載小説「kimagure湊だより」第10話アメリカ公使館跡記念碑のなぞ 序章

第10話アメリカ公使館跡記念碑のなぞ

序章

 連載小説「kimagure湊だより」第10話アメリカ公使館跡記念碑のなぞ 序章

 明治に入って、日米修好通商条約が結ばれ、諸外国との貿易がはじまると、いまの明石町一帯には「築地外国人居留地」が置かれた。今のはとば公園は、文字どおり波止場で、横浜と東京をむすぶ汽船が行き来し、聖路加ガーデンのあたりは、築地海岸とか海岸通りなどと呼ばれ、帆船がたくさんもやっていた。

 貿易港として栄えた横浜とは異なり、東京の開市場、つまり築地外国人居留地は、教会やミッションスクール、病院や公使館などがしだいに集まり、文化的な色を濃くしていった。洋館の窓にはあたたかな灯がともり、教会の鐘の音が響きわたり、クリスマスには讃美歌の調べが町を満たした。その一角に、アメリカ公使館があった。

 明治8年から同23年まで、今の聖路加ガーデンの敷地のうち南側の一部、居留地1番・2番・3番・21番・22番をまたぐ5区画にあたる。ちょうど、明石町河岸公園の、カーブする坂道にさしかかった、木漏れ日がきれいに降りそそぐ、そのあたりだ。

 いま、その面影を残すものは、「アメリカ公使館跡の記念碑」だけだ。

 アメリカ公使館跡の記念碑は、縦横およそ80センチ四方、厚み30センチていどの石碑である。伊豆半島の海岸で切りだされた石材でできており、そこにはアメリカを象徴する図柄がほどこされている。五稜の星、盾形の星条旗、白頭鷲の3種類で、中央区内には、全部で5基が残っている。

 2ヶ所に分けて保存されており、聖路加国際病院の中庭に3基、聖路加ガーデン親水公園に2基、いずれも五稜の星と盾形の星条旗がひとつずつ、聖路加国際病院の中庭のほうには、白頭鷲がある。

 なぜ、さきほど”中央区内には”と言ったかといえば、じつはアメリカ公使館跡の記念碑は、ぜんぶで8基あるのだ。そのうちの5基が、中央区内にある、ということになる。すると、あとの3基は、どこへ行ったのか。

 答えは簡単で、赤坂のアメリカ大使館に、日米友好のしるしとして、昭和59年に贈られたのだ。いまは、大使館の前庭に飾られているらしい。

 

 連載小説「kimagure湊だより」第10話アメリカ公使館跡記念碑のなぞ 序章

「でもね、アメリカ公使館跡の記念碑って、けっきょくのところ、どんな目的でつくられたのか、いまだにわからないんだって」

 私は、あたたかいカフェ・オレの入ったマグカップを両手で包みながら、黄色い小鳥ちゃんに言った。

「そうね、いまでこそ、中央区民有形文化財としてきれいに整備された場所に飾られているけれど、そもそも飾るものだったのかさえ、わからないのよね」

「うん、発見されたときには、荒れ果てた庭のなかの、すこし小高くなったところに、並べて置かれていただけみたい」

 黄色い小鳥ちゃんは、ミルクの入った小皿のふちにとまったまま、首をかしげて、目をぱちくりさせながら、いくつかの本のページをめくった。

「『中央区区内散歩』のなかで、川崎房五郎氏は、

 ‐何に使ったのかはよくわかりません。‐と言っていて、‐恐らくはハリスが公使館として使用していた麻布善福寺から移転の際運んだものとも言われていますが‐

 と言っているわね。『中央区の区民文化財』という冊子のなかでは、

 ‐ただ残念なのは、これらの石が何時、何のためにつくられたのかが全く不明なことです。‐

 と言っていて、‐謎に包まれた存在‐という言葉をつかっているの」

「じゃあ、ほんとうに謎なんだね」

 と、私は腕組みをする。

「さらに、京橋図書館地域資料室の郷土室だよりを読むとね、記念の意味でつくったのならば、

 ‐壱個でことたろうものを、五・六箇もあるというのはなぜであろうか‐

 とまで言っているわ。

 明治23年にアメリカ公使館が赤坂に移転するときに、13代スウィフト公使が、この地にアメリカ公使館があったことを後世に残そうとしてつくったものではないか、と推理しているのは、安藤菊二氏よ」

 しかし、この記念碑をつくった目的として、また別の推理をするのは、築地外国人居留地研究の第一人者である川崎晴朗氏で、

「『築地外国人居留地』のなかで、

 ‐1876年(明治9年)7月4日は米国の独立達成百周年にあたる。ビンガム公使は、家族と共に築地居留地に完成した公邸に移ったあと、自分が日本で代表している祖国が百回目の誕生日を迎える機会に、日本人の石工に記念石を刻ませることを思いついたのではないか。‐

 と、こう推理しているの」

「目的も用途も、つくられたタイミングも何もわかっていないんだね」

「それに加え、聞き捨てならない一文をみつけたのよ」

 と、黄色い小鳥ちゃんは息をのんだ。

「これは、北川千秋氏の書いた「築地明石町今昔」という本なんですけど、明石町の古老にきいた話を、それとなく書いているの。古老は、記念碑の数を十個、と記憶していたことが記されている」

「10個?」

 と、私は眉をしかめる。

 ぜんぶで8基、だと思っていたのに、ほんとうは10個あったのだろうか。

「しかも、明治16年の測量地図によると、アメリカ公使館の庭に、なにかの所在を表すような記号が複数書き込まれていることに、北川氏は着目しているの。その測量地図をもとに同氏が作成した図が、これよ」

「どれどれ?」

 と、私は黄色い小鳥ちゃんの開いているページを、真剣にのぞきこんだ。

 そこには、U字をさかさにしたような印が、庭のあちこちに、数個ずつのかたまりになって、全部で18個記されている。

「この印が、それこそ記念碑が置かれている場所を示しているのであれば、アメリカ公使館跡の記念碑は、ぜんぶで18個あったことになるのよ」

「18個!」

 私は、おどろきのあまり、すっとんきょうな声をあげた。

「北原氏も言っている。これが記念碑の所在をあらわす記号に見えてしかたないって。それと、おもしろいのはね、平成のごくごくはじめまで、その面影がそのまま残っていたことなの」

 と、黄色い小鳥ちゃんは言った。

「まい朝星条旗を掲げていたという、庭のすこし小高くなったところが、そのまま残っていて、荒れ果ててはいたけれど、季節の花が風にそよぎ、しずかな時が流れていたらしいわ。洋館や教会ふうの建物も、ちらほら見えていたそうよ。

 そのあと、聖路加ガーデンの建設がはじまるということで、その一体は白い壁で覆われたのだそう。中央区区内散歩(三)は、まさにその頃書かれた本で、大きく変わろうとしている明石町の横顔が、かいま見えるような気がするわ」

「聖路加ガーデンができたのは、平成6年だったね」

 明治初年にくつられた記念碑は、大正の関東大震災、昭和にはいっての戦争や、その後の復興、発展、明石町が大きく変わった平成、そして令和と、じつに150年ちかくの時代を生き抜いたことになる。

 

 

 連載小説「kimagure湊だより」第10話アメリカ公使館跡記念碑のなぞ 序章

「アメリカ公使館って、どんな建物だったんだろうね」

「クリーム色をした木造2階建ての洋館だったそうよ」

「わー、すてきだね!でも、写真は1枚も残っていないよね」

 そういって、私はパソコンに向かい、中央区立図書館のホームページをひらく。

 地域資料室に保管されている画像を検索しても、アメリカ公使館の写真は出てこない。錦絵にも描かれていなさそう。う~ん、残念だ。でも、

「じつは、残っているのよ」

 と、黄色い小鳥ちゃんは言って、キーボードのうえにおりると、ぴょんぴょん跳ねながら、文字をひとつひとつくちばしでつついた。

「hoteru metoropo-ru」

 ホテルメトロポール、私は口にだして言ってみる。

 すると、浅い三角屋根の、煙突を頭につけた洋館のモノクロ写真がでてきた。

「アメリカ公使館は、明治23年に赤坂に移ったのよ。そのあと、建物はそのまま、ホテル経営者の手に渡ったの。横浜のユナイテッド・クラブよ」

 下見板張りの、四角い建物が3つ、斜めに重なり合いながら、敷地の奥に向かって並んでいる。

「ほら、こっちのほうに、庭があったそうよ」

 と、黄色い小鳥ちゃんは、画面の右のほうにくちばしを向ける。

「隅田川のあるほう。築地海岸ね。写真には写っていないけれど、帆船がたくさんもやっているはずよ。満潮時には、潮が満ちて、庭の草むらをひたして、それがのどかで穏やかな印象を与えていたそう」

「いいなぁ!建物のなかは、どんなだったんだろう」

 すると、黄色い小鳥ちゃんはすこし得意気にまばたきをし、テーブルに広げられた本のなかのひとつを選ぶと、くちばしでつまみ、羽根をパタパタとさせて、器用にページをめくった。

「ほら、ここよ」

 黄色い小鳥ちゃんは、ページのうえにのっかって、その部分をたどるようにちゅんちゅん跳ねた。

 ふむふむ、と読んでみる。

 それは、クララ・ホイットニーというアメリカ人少女の日記だった。

「クララのお父さまは、森有礼により、商法講習所に招かれたお雇い外国人だったの。いまの、一橋大学の前身よ。その頃は、木挽町に校舎があって、クララ一家もそこに住んでいたみたい」

 日記には、お母さんと妹のアディと一緒に、アメリカ公使館をたずね、客間にとおされたひとときのことが記されていた。

 ‐美しく大きな家で、中にはアメリカで使っているようなすてきなカーペットが敷いてあった。‐‐暖かく気持のよい、豪華な家具のある家にすっかり魅せられてしまった。‐

 と、記している。

「わぁ~、すごい!アメリカ公使館のなかがどうなっているか、クララが書いておいてくれたおかげで、知ることができた!当時の人が記録に残してくれなくちゃ、知る術がないもの」

「しかも、クララのお兄さまは、アメリカ公使館の通訳をしているのよ」

「つながってるね!」

 私は、いっきに感動してしまう。

 さぁ、そこで私と黄色い小鳥ちゃんは、このアメリカ公使館跡の記念碑の正体を、いろいろ推理してみることにした。いったい誰が、どんな目的でつくったのか。そして、いつつくられたのか。

 テーブルのうえに散らばった、たくさんの本に囲まれて、私と黄色い小鳥ちゃんは、ほんのすこしのあいだ、明治時代の明石町にタイムスリップした。

 

つづく

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♪参考文献

「歩いてわかる中央区ものしり百科」中央区観光協会/「中央区区内散歩(三)」川崎房五郎 中央区企画部広報課 平成4年/「中央区の区民文化財」中央区教育委員会 平成3年/「郷土室だより第61号」安藤菊二 京橋図書館地域資料室 昭和63年/「築地外国人居留地」川崎晴朗 雄松堂出版 2002年/「築地明石町今昔」北川千秋 聖路加国際病院 昭和61年/「クララの明治日記」上・下巻 クララ・ホットニー 一又民子訳 講談社 1976年

 

 連載小説「kimagure湊だより」第10話アメリカ公使館跡記念碑のなぞ 序章

中央区観光協会特派員 湊っ子ちゃん
第220号 令和6年2月4日