江戸の妖怪
『江戸名所道戯尽 両国の夕立』歌川広景 国立国会図書館デジタルコレクション
新大橋に夕立が降ってきました。直前まで激しい雷鳴もとどろいていました。
直前までと言ったのは、激しく暴れすぎた雷神が隅田川に落っこちてしまったからです。
橋の下では必死に川から上がろうとする雷神の足を河童が捕まえています。橋の上には走って家路を急ぐ人もいたでしょう。しかし、この激しい雨では「助けて!」と叫ぶ雷神の声は届きません。
落ちた時の衝撃でしょうか。それとも河童との格闘のせいでしょうか。雷神の太鼓は壊れて川面に浮いています。
なんとしても雷神の尻子玉を取りたい河童に雷神の渾身の一撃!オナラです。雷神のまわりの黒いもやもやしたものがオナラです。あまりの臭さに河童も鼻をつまんでいます。
雷神は逃げ切れたでしょうか?
歌川広重『名所江戸百景 大橋あたけの夕立』国立国会図書館デジタルコレクション
新大橋に夕立と言えば有名なのがこちらの広重の「大橋あたけの夕立」ですね。ゴッホが模写したことでも知られています。
この絵のパロディ的に描かれたとされているのが冒頭にあげた歌川広景の雷神と河童の絵です。激しい雨に降られ急ぐ橋の上の人たちは橋の下で雷神と河童の攻防が繰り広げられているとは露ほども思わなかったでしょう。
広景の河童はおどろおどろしい姿だけれど、コミカルな様子に親しみを感じます。
江戸時代は妖怪はどのようなものだったのでしょうか。
百物語
一寿斎芳員『百種怪談妖物双六』国立国会図書館デジタルコレクション
妖怪を題材にした双六です。唐傘お化け(この双六では鷺淵の一本足)、九尾の狐(金毛九尾狐)、雪女(中河内の雪女)河童(坂東太郎の河童)など今でもよく知られている妖怪もいます。
この双六のコマのふりだしを拡大したのが次の絵です。
江戸時代前期、百物語という怪談が流行しました。新月の夜に何人かのグループで集まり百本の灯心に火を灯し、幽霊、妖怪、不思議な話など怖い話を交代でしていきます。一つの話が終わるたびに灯心を一本ずつ抜いて部屋を暗くしていきます。100話すべて語り終わると本物の怖いものが現れてしまうので99話でやめて朝を待つのがお約束とされていました。
この絵でも子どもたちが百物語をやっています。部屋にいる子どもたちは怖がって皆で身を寄せ合っています。黄色い着物の子は頭を抱えてしまっています。灯心を抜いて戻って来た子は今灯心を抜いている子をびくびくしながら振り返って見ています。
百物語が流行った江戸時代前期は、なにか不可解で不気味な現象、恐怖を覚える事件が起きてその原因がはっきりしない場合に姿がわからない妖怪の仕業とすることがありました。
妖怪図鑑
『図画百鬼夜行』鳥山石燕 国立国会図書館デジタルコレクション
そんな得体のしれない姿がわからない妖怪の仕業として片付けられていた恐怖に姿形ある妖怪としての実体を与えたのが、浮世絵師 鳥山石燕(とりやませきえん)でした。喜多川歌麿などを育てた絵師でもあります。
安永5年(1776)に『図画百鬼夜行』を出版。要するに妖怪図鑑ですね。一体一体の妖怪の姿と名前が書かれています。上の絵は右側が「河童」川太郎ともいうという注釈がついています。左側が獺(かわうそ)です。かわうそも妖怪なのでしょうか?たぬきと同じように化けて人に悪さをするので妖怪の分類のようです。
不可解で不気味な出来事も張本人の姿がわかれば怖さも半減ということでしょうか。
前にあげた双六が作られた頃は妖怪がキャラクター化され子どもの玩具になっていました。
他に妖怪を使った子どもの玩具にはカルタや凧などがありました。大人向きには「からくり的(まと)」と言って弓矢や吹矢を射て的に当てるとからくり仕掛けで妖怪幽霊の人形が現れるというものです。子どもから大人まで妖怪を楽しむようになったことがうかがえます。
江戸時代の妖怪たち
『夭怪着到牒 2巻』北尾政美 画 国立国会図書館デジタルコレクション
江戸時代後期には大人のための滑稽本の黄表紙でも妖怪ものが出版されました。『夭怪着到牒』(ばけものちゃくとうちょう)の一場面です。右のページの「見越し入道」が妖怪たちを呼び集めている場面です。見越し入道は今はマイナーですが、当時は人気の妖怪でした。坊主頭の僧の姿をした巨人です。夜道に現れ、どんどん大きくなっていきます。屋根や木より大きくなって上からこちらをのぞき込んできます。びっくりして見上げ続けているとその人は気絶したり、死んでしまうこともある妖怪です。「見こした」というと消えてしまうという話もあります。
左にいる大きい頭に笠をかぶっているのは「豆腐小僧」です。この本では「おおあたま小僧」と紹介されています。盆に豆腐を乗せて運んでいますが、豆腐屋を驚かせてせしめてきたという設定のようです。豆腐には紅葉の印が押されています。紅葉の印のお豆腐は実在したようです。この話では「見越し入道」の孫が「豆腐小僧」ということになっています。この妖怪も人気だったそうです。
怖い要素がありながらかわいらしさ、滑稽さもある。そんな妖怪像になっています。
『年中行状記 2巻』十返舎一九 国立国会図書館デジタルコレクション
十返舎一九も蔦屋重三郎の耕書堂から妖怪ものを出版しました。この本は妖怪が人間とは違う異世界で人間と同じように正月やひな祭り、相撲などを楽しみながら暮らしているという、のどかなお話です。
上の絵は赤ちゃんと子どもを連れた妖怪の母子がなにやら楽しそうに幟に描かれた絵を見ています。
幟の絵は人間の世界とは設定が逆。どういうことかというと、
「鬼が鐘馗の剣をもって鐘馗を追い払っている」「熊がマサカリをもって坂田金時に振り上げている」絵になっています。
鐘馗は人間界でのような迫力ある威厳はなくそそくさと逃げ出していて、坂田金時も座り込んで目を覆って泣いてしまっているように見えます。人間界でのヒーローが妖怪の世界ではそうなるのは納得です。
のどかな妖怪の母子の様子。ここまでいくと全く怖くない妖怪になっていて拍子抜けしてしまいます。
ブログ冒頭にあげた雷神と河童の攻防くらいが恐怖と笑いのバランスがちょうどいい感じのような気がします。
現在の新大橋
昭和52(1977)竣工の現在の新大橋です。日本橋浜町2・3丁目から江東区新大橋1丁目の間隅田川に渡されています。
江戸時代の木造橋だったころの面影はありません。最近突然の激しい雷雨が多いですね。お気をつけください。黒雲が沸いて天気が下り坂の様相だと橋脚辺りになにやら……
【参考文献】
『江戸の妖怪革命』 香川雅信 河出書房新社
『川の文化』 北見俊夫 講談社学術文庫