OH!江戸東京まつり『中央区で流鏑馬が見られるなんて⁉』
幸運な初体験でした!堀留児童公園於
桜やよいが幸運の体験をさせていただきました。
流鏑馬と言えば鎌倉かと思い、一度は見たいと憧れていました。
されど、人込みの中でどこから見ればいいのかやよく見ることができるのかが不安で腰が重く、「すわ、鎌倉へ!」は実現しませんでした。
ところが、中央区観光協会から特派員に1本のメールが届き、『流鏑馬』10月19日外国人枠の座席のチケットが空いているとのお知らせがありました。
中央区で流鏑馬が見られることが奇跡としか思えないので、「すわ、中央区へ」と12時30分のチケットを取ることができました。
そして、当日来賓席の近くに座席をゲット!
最前列席で矢がダイヤ型檜板の的を割る瞬間をまじかに見ることができ、大感激でした。
プロデュースされた宮本亞門さんもご挨拶!
【本物の「日本文化」にふれる】総合プロデュースを宮本亞門さんが企画されました。
『流鏑馬』は古来より、日本に伝わる騎射の一種で射手が全速力で馬を駆けながら、218mの長さの間に設置された3つの的を連続して弓矢で射抜く勇壮な技です。
今回は、約80mの長さですので、1本の的を射抜くということでした。
主催『江戸街道プロジェクト実行委員会』・後援『中央区・中央区観光協会』の催しです。
弓馬術礼法小笠原流 31代 小笠原清忠宗家
31代 小笠原清基宗家嫡男
弓馬術礼法小笠原一門で今回の中央区での『流鏑馬実演』にいらっしゃいました。
31代宗家嫡男 小笠原清基さんが『流鏑馬』の解説を丁寧にしてくださいました。
流鏑馬の歴史は平安時代にさかのぼります。鎌倉時代は、源頼朝の『糾方』(弓馬術礼法)として小笠原長満が命じられました。
江戸時代になると、1724年第8代将軍徳川吉宗の命を受け、第20代当主・小笠原貞政が流鏑馬礼法を制定しました。
流鏑馬は、武士にとって重要な技の一つとされ、天下泰平・国家安泰を祈る神事として、日本各地の信者で奉納されてきました。
この流鏑馬の伝統は、700年以上続いた武士の時代、将軍家指南役としての小笠原流によって受け継がれて、現在に至るまで日本各地でその技と精神が生き続けています。
鎌倉時代からの狩装束ー鹿の毛皮を袴の上に履き、
袴が汚れないようにしている。
射手の狩装束は、頭に綾蘭笠(あやいがさ)・鏑矢を五筋さした箙(えびら)を負い、弓並びに鏑矢一筋を左手に持つ・太刀を付け、刀を差す。
一門の中には、外国人の方もいらっしゃいました。
日本文化の流鏑馬を学ぼうと日本に来られたのかと推察しました。
最近は、海外の方がYouTubeを見て「流鏑馬」を武士の戦法として注目し、人気が出てきているようです。
日本でもなかなか見られない流鏑馬をこれからも継承していくことは大変な努力が必要です。日本人でも外国人でも興味のある方は、是非趣味で始められることをお薦めしたいです。
小笠原流教場は全国にありますので、問い合わせてみてください。
https://www.ogasawara-ryu.gr.jp/
江戸時代 流鏑馬の装束
水干(すいかん)・鎧直垂(よろいひたたれ)などの装束もあります!
今回の企画は画期的な企画でさすが名演出家である宮本亞門さんの最高のプロデュースだと感じました。
まず、五街道起点・終点の『日本橋』を中心に江戸文化が誕生
日本の伝統文化である武道(流鏑馬・柔道・空手)・芸能(江戸火消の木遣り・纏振り・梯子乗り・小笠原流礼法・茶道・能楽・歌舞伎・邦楽・浮世絵)を家元や師範から直接教わる特別な企画イベントでした。
このような企画を今後も是非企画していただきたいと思います。
外国人にも日本の伝統文化をより知っていただきたい想いと、日本人にとっても眠っているアイデンティティを呼び起こし、日本文化に誇りをもっていただきたいと願ってやみません。