よこやん

佃の盆踊りが始まりましたよ
信長・石山合戦由来の跛行おどりが15日(水)まで

江戸時代から続く、佃島の盆踊りが今年も7月13日(月)から始まりました

場所は佃まちかど展示館の前、佃1丁目中央通りのど真ん中にやぐらが組まれ
島のメインストリートが盆踊り会場になっています
(盆踊りのため最初から道が超幅広に作られています)

元々は日本橋や京橋を踊り歩く行列でしたが、天保の改革で江戸市中回遊を禁止され
以来、佃島の中でのみ踊るようになったのだそう
江戸時代から続く盆踊り、東京中心部ではこの佃だけが受け継いでいます。

その唄と踊りを紐解くと、江戸時代だけでなく戦国・鎌倉時代までが透けて感じられる、ちょっとしたお話がありました。
そんな小ネタを以下少しばかり。

ご興味を持たれた方、ぜひ盆踊りを覗きにきて下さい!

 

片足を引き摺る踊りは、石山本願寺が信長に勝ったはずみで生まれる

片足を引き摺る踊りは、石山本願寺が信長に勝ったはずみで生まれる 佃の盆踊りが始まりましたよ
信長・石山合戦由来の跛行おどりが15日(水)まで

音頭が主体の盆踊りとちがって、佃の盆踊りは唄い手の唄と太鼓にあわせてゆったり静かに踊ります。

踊りもシンプルなもので、踏み出す足は右足だけ。
はたから見ると左足を引きずっているようにも見えます。

伝承では、本願寺と織田信長が10年にわたって戦った石山合戦の中で
本願寺側の雑賀衆(鉄砲集団)・鈴木飛騨守が戦いに勝利した際、
喜びのあまり足の怪我を忘れて踊り出したのがモデルだと言われています。

怪我をしたのは左足だったんでしょうね。

佃島のご先祖は大阪市西淀川区にある佃島の漁師で、石山本願寺の宗徒でもあったようです。
彼らはそののち徳川家康と縁あって江戸に移り、埋め立てて作ったのが佃島で、飛騨守の踊りもあわせて移ってきたと考えるのがスムーズな気がします。

ちなみに関西には同じような足を引き摺る踊りが今も残っているそうです。

唄に残る「ヤートセー ヨーイヤナ」は囃子詞(はやしことば)か伊勢神宮の木遣か

唄に残る「ヤートセー ヨーイヤナ」は囃子詞(はやしことば)か伊勢神宮の木遣か 佃の盆踊りが始まりましたよ
信長・石山合戦由来の跛行おどりが15日(水)まで

初日(13日)の様子。夕暮れから夕闇に変わるにつれ、踊り手の人数がどんどん増えてきました

いっぽう盆踊りの唄は「数え歌」「秋の七草」などがあり、なんと平家物語(!)の「祇王」もレパートリーにあるそうです。

※ 祇王: 平清盛の寵愛を受けた白拍子の悲話

(鎌倉時代の作品が一体どういう経緯で佃に伝えられたのか、興味があるのは私だけではないはず…)

唄の中では「ヤートセー、ヨーイヤナ」という掛け声がはさまれ、踊りにアクセントをつけていきます。

この掛け声は、佃の漁師たちが昭和になってからも船を漕ぐ際に使っていたそうです。

ところがこの掛け声、同じものがバリエーションも含め全国あちこち(小樽、富山、伊勢、郡山など)に残っています。

共通するのは、魚網を引き揚げたり木材を運んだり、大勢が力を合わせて引く作業する時の掛け声のようです。船の櫂を漕ぐ掛け声(囃子言葉)であってもおかしくない。

伊勢神宮の遷宮式で木材を運ぶ木遣(お木曳木遣)が「ヤートコセー、ヨーイヤナ」なので、これがお伊勢参りで全国に広がった説、強いんですよね。

ただ、木遣が酒席の祝い唄「伊勢音頭」(尾張名古屋は城で持つ、の歌詞で有名)に変化して掛け声が広まってることもあって…まあそういう話はここら辺で。

 佃の盆踊りが始まりましたよ
信長・石山合戦由来の跛行おどりが15日(水)まで

昔からの佃盆踊りは15日までですが、18日は町会主催の納涼盆踊り大会です。

「これがお江戸の盆ダンス」「ダンシングヒーロー」「きよしのズンドコ節」「バハマママ」など、打って変わって令和の今に合わせて楽しく踊る盆踊り大会となります。

今も昔もどちらも楽しめる佃の夏、いいですよね

 

佃島の盆踊

日時: 7月13日(月)~15日(水)
    18:00~21:30(お子様は19:30まで)
場所: 佃1丁目中央通り・佃まちかど展示館前

 

佃一丁目町会 納涼盆踊り大会

日時: 7月18日(土)
         18:00〜21:00
場所: 佃1丁目中央通り・佃まちかど展示館前

 佃の盆踊りが始まりましたよ
信長・石山合戦由来の跛行おどりが15日(水)まで