中央区と江戸野菜〜京橋大根河岸
所用で池袋に行ったので、豊島区立郷土資料館で開催中の「江戸・東京の特産物と種子屋」に寄ってみました。板橋〜滝野川〜巣鴨の中山道沿いは、近郊農村で栽培されていた野菜の種子屋が集まり「種子屋街道」と呼ばれていたそうです。(後日、現地にも行ってみました。)
滝野川の牛蒡・人参、駒込の茄子、雑司ヶ谷の南瓜、巣鴨の小蕪(コカブ)などなど・・・いろいろな江戸野菜に関する展示が楽しかったです。
さてさて、では我らが中央区と、江戸野菜のつながりは何かあるかしら?と考えてみました。もちろん、お江戸の中心である我らが中央区、残念ながら江戸野菜の産地はなさそうですが、そうだ、中心地であるからこその荷揚げ地、市場があるじゃないか、ということで京橋の大根河岸へ。
こちらが現在の京橋大根河岸通り。江戸時代、なぜか大根の荷揚げが多かったことから、そう呼ばれるようになった大根河岸。 今、高速道路が走っている下を流れていたのが京橋川。その北岸、紺屋橋(中ノ橋)から京橋までの間にありました。
もともと、四代将軍家綱の時代に、数寄屋橋のたもとにあったさつまいも問屋の集まりが発祥で、数年のうちに市場になり、火災で1664年(寛文4年)に京橋に移ってきたそうです。 大根は、葛飾方面からは、中川から小名木川、深川口から隅田川を横断して、八丁堀から京橋川に入ってきていたとのこと。3月から4月は亀戸大根。舟運だけではなく、内陸からの陸路もあり、12月には練馬大根が牛馬によって運ばれてきていたそうです。
関東大震災後、中央卸売市場が築地に完成したことにより大根河岸も昭和10年に築地に移転。昭和34年、京橋川も埋め立てられ、記念碑(京橋大根河岸青物市場跡の碑)が建てられました。
記念碑があるところは、今、小さな緑地になっていますが、それが2017年に完成した「京橋大根河岸おもてなしの庭」です。敷地内には、江戸歌舞伎発祥の地の碑もありますね。
大根河岸の西隣(中ノ橋から比丘尼橋までの間)は薪河岸、その南岸は白魚河岸。東隣(中央通りを渡って東側)は、竹河岸。竹河岸があった辺りは、今、京橋の再開発で工事中でした。竹河岸通りにも、大根河岸の上記の写真と同じような、通りの愛称を記した銅板「京橋竹河岸通り」がありますが、この道は廃道になりますというようなことが書いてあり、通って写真を撮ることはできませんでした。中央区の、道路愛称が付いている通りの一つが、もしなくなってしまうとしたら、さびしいですね・・
こちらは、大根河岸通りにあった、槙三伏見稲荷。元々、この場所には、文政年間に大根河岸青物市場の守護神である「吉川稲荷」があったそうです。明治初年に、京橋際揚場にあった「豊田稲荷」と合祀して「両社稲荷」と称していましたが、震災、戦災を経て、昭和25年、京都伏見稲荷の神璽を受けて、以後「槙三伏見稲荷神社」と称するようになったとのことです。町を歩いていると、小さい小さいお稲荷さんにいきなり遭遇するのも中央区あるあるですよね。調べてみると興味深い歴史を知ることができますね。
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