記念日で知るあの頃の中央区~1月編~
こんにちは。アクティブ特派員のHanes(ハネス)です。
2020年になり、仕事が始まったと思ったら、中央区観光検定が約1ヶ月後に迫ってきました。
実際にまち歩きをして検定対策をしようと思っていらっしゃる方、「善は急げ」で、少しでも暖かいうちに(1月下旬になる前に)お出かけすることをオススメします!
それでは、今回も記念日を手がかりに中央区の歴史を見ていきましょう♪
トップの画像:田代幸春画「江戸火事図巻」(1814年)の一部。後述する明暦の大火が描かれています。(パブリックドメイン)
明暦の大火(旧暦1月18日)
江戸時代に火事が多く発生していたことはよく知られていますが、その中でも特に、明暦3年(1657年)1月18日(旧暦)に本妙寺(現・文京区)から出火した火災の被害は広範囲に及び、江戸市中の60%を焼き尽くしました。
江戸橋付近では川を越え、茅場町、八丁堀、霊巌島、佃島、石川島へも延焼。
内閣府の資料によると、この明暦の大火(振袖火事、江戸大火とも)前の気象状況は、80 日以上も雨が降らず、大変乾燥した日が続いていたとのこと。
そのため、規模や出火場所は異なるものの、元旦の夜、2日の9時頃、5日の22 時頃、9日の真夜中にも火災が連続的に発生していたようです。
明暦の大火は、乾燥と強風が重なった際に発生し、その気象状況が被害を大きくした原因だと分析されています。
【参考資料】
中央区「中央区ヒストリー」
https://www.city.chuo.lg.jp/kusei/syokai/kuseiyoran.files/chuokuhistory.pdf
内閣府「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書原案 『1657 明暦の江戸大火』」
http://www.bousai.go.jp/kohou/oshirase/h15/pdf/2-7.pdf
電話交換方式の発祥(1月20日)
こちらは記念日として制定されたものではありませんが、せっかくなのでご紹介します!
銀座1丁目にある「三つ橋跡」の案内板のそばの建物に、米沢滋博士(電電公社に入社し、後に総裁に。日本の電気通信サービスの向上に努めた人物)の筆で「自動電話交換発祥之地」と刻まれた自動電話交換開始記念碑があります。
自動電話交換機とは、電話番号に基づき自動で電話をかけたい相手につなげることのできる通信機器のことで、手動で取り次ぐ交換手に代わるものです。
その背景には、加入者数や利用回数が多くなるにつれ、取りつぎが追い付かなくなったという状況がありました。
この碑は、旧京橋電話局の交換業務開始50周年を記念し、1975年1月20日に除幕しました。
一見不思議なオブジェのように見えるものは、当時の電話交換機の回路図の一部を図案化したものです。
今では交換手を介せずとも、希望する相手に電話をかけることのできる便利な時代になりました。
その便利さを当たり前と思いがちですが、時として街角でその技術の発展について思い出し、技術者の方々に感謝したいと思いました。
【参考ウェブサイト】
NTT東日本「電話の普及 その背景にある技術とは」
https://business.ntt-east.co.jp/content/nw_system/01.html
郵便制度施行記念日(1月24日)
現在私たちが利用する郵便制度は、全国均一料金の切手を貼った手紙をポストに入れると相手に届くというものです。
この制度は1840年に英国で開始され、日本では、英国に学んだ駅逓権正(後の郵政大臣)前島密が近代的な郵便制度の確立に尽力。
1871年1月24日には現在の郵便制度が「郵便規則」として制定され、同年3月1日からは郵便局・郵便箱・切手を使った郵便業務が東京ー大阪間で開始されました!
そのような日本の郵便事業への貢献者 前島密の胸像は、日本橋郵便局にある「郵便発祥の地」で見ることができます。
また、茶色の1円切手に描かれている人物もまた彼なのです!
1円切手が貼られた手紙を受け取った際には、改めて切手をよく見てみてはいかがでしょうか。