『新参者』と人形町 10年を考察 ①
~ 弁慶像 ~
『ギフト、そして自分も楽しむ』をチアフルに取材します、rosemary sea です。
東野圭吾さんの小説「新参者」が刊行されましたのが2009年9月ですが、その第1章「煎餅屋の娘」が小説現代に掲載されましたのが2004年の8月号、つまり、新参者シリーズの実際のスタートは既に16年近く前、ということになります。
TVドラマ「新参者」につきましては、放送されましたのが2010年4月18日から6月20日、ちょうど10年経ちますところです。
ロズマリは、特派員資格を得た4年前、早速「新参者」や「麒麟の翼」に関係するお店の記事を書き始めました。
2018年1月27日の映画「祈りの幕が下りる時」公開に際しましては、東宝宣伝部様のご了解のもと、その前年の11月より「祈りの幕が下りる時 ロケ地めぐり」を載せました。
そして2019年7月12日より今年2020年1月1日にかけて「今再び新参者シリーズ」を掲載しました。
この度、テレビ放映10年を機に、「『新参者』と人形町 10年を考察」と題しまして、「新参者」から「麒麟の翼」、「祈りの幕が下りる時」へと続く新参者シリーズと、その舞台となった人形町界隈の関わりやその後についてもう一度深く掘り下げようと思います。
その第1回は、「弁慶像」を採り上げます。
それでは・・・
弁慶像について
今を遡ること350年前、現在の人形町あたりに葺屋町(ふきやちょう)と堺町という街があった。
当時この街では、江戸三座といわれていら芝居小屋のうちの市村座と中村座の二座が歌舞伎を上演しており芝居街と呼ばれていた。
また、浄瑠璃による操り人形の芝居小屋も数件あり、歌舞伎と合わせて庶民の人気を集めていたという。
ここで使われた人形の製作と、修理に当たった人形師達は、この周辺に住み人形細工と人形の販売をも業としていた。
以上が人形町の名のいわれとされており、ここ人形町界隈は、今日隆盛をきわめる江戸歌舞伎発祥の地と呼んでも差し仕えないといえる。
この度、緑道の改修に当たって、入り口の広場に歌舞伎十八番の内でも人気のある勧進帳(かんじんちょう)の武蔵坊弁慶を設置するとともに、その背面に関所風の冠水門を設けて江戸情緒をかもしだし、往時をしのばんとするものである。
中央区土木部公園緑地課
・・・と、説明文が書かれていますが、この緑道公園が整備され始めたのが、今から50年以上前のこと。
ですから、「350年前」と書かれた下りは、プラスアルファが必要と思います。
元々この緑道のところは、浜町川として江戸時代に掘られた人工的な水路でした。
神田佐久間河岸の神田川から分かれて、隅田川に合流していました。
暗渠(あんきょ:覆いをかけた水路)となる前は、他の水路と同様、物資輸送にとても利用された水路でした。
昭和40年頃から暗渠も更に埋め立てられ、このように緑道公園として憩いの場となっています。
東野圭吾さんの小説「新参者」では第4章『時計屋の犬』で登場します。
犬の散歩道にある像として、この「弁慶像」の名称が書かれています。
TVドラマ「新参者」では第1章の冒頭映像に、この弁慶像が出てきます。
この先に明治座さんもありますので、この地を象徴する像としてはまたとない立地条件と言えます。
人形町駅から明治座へ向かうお客さまにとって、まさにムードを盛り上げるモニュメントとなっています。
桜の花びらは舞い散っていますが、この緑道はいつもきちんと清掃されており、とても居心地の良い公園となっています。
この公園内、この像の顔の向いている北西方向(久松警察署方面)には、「漢方医学復興の地」の碑もあります。
ロズマリはこのアングルが一番の好みです。
凛々しい弁慶が右手に巻き物を握って見得を切っている、まさに決めのポーズです。
なお、他の画像でおわかりのとおり、左手には数珠を持っています。
10年くらい前の写真を見ますと、像の背にある木のあたりに、ちょうど勧進帳の「安宅の関(あたかのせき)」のような木の大きな門があったようです。
そうです、説明文にある『関所風の冠水門』です。
現在はそのような門は見当たりません。
改修され、撤去されたようです。
日中は上画像ように、「下町の散歩道 甘酒横丁」の幟(のぼり)が、手前に。
この幟は甘酒横丁の通りに並んで掲げられています。
弁慶像
日本橋人形町2-6-13(浜町緑道公園内)
人形町駅からですと、徒歩約6分。
A2出口の前の「甘酒横丁」交差点を渡り甘酒横丁へ。
明治座・浜町公園方面へ向かい、明治座へ到達する手前の「浜町緑道」の右にあります。