秋の味覚「さつまいも」で紐解く江戸の歴史
~青木昆陽・加藤枝直・大岡越前守・徳川吉宗・前野良沢~
こんにちは。アクティブ特派員のHanes(ハネス)です。
突然ですが、皆さんにとって秋に食べたくなるものは何ですか?
松茸、梨、秋刀魚、秋鮭、栗、さつまいも等、挙げたらきりのない秋の味覚。
その中でも、焼き芋は上位にくるのではないでしょうか。
そこで、「さつまいも」を興味本位でテーマにし、中央区との関係がないか調べてみることにしました。
無謀な挑戦のようではありますが、予想に反してすぐにたどり着いたヒントが、「甘藷先生」と呼ばれる江戸時代中期の儒学者・蘭学者青木昆陽。
そんな彼はなんと、日本橋小田原町で魚問屋の1人息子として生まれたのです!
(日本橋小田原町は、5月に「芭蕉と旅する江戸時代」内でご紹介した「発句也松尾桃青宿の春」の案内板があるあたりで、現・室町1丁目に相当します。)
続いてさらなる中央区との関係を探すと、「与力」というキーワードが浮上。
気になって調べてみたところ、昆陽が「甘藷先生」と呼ばれるようになるそもそものきっかけを作ったのが、昆陽の長屋の近くに住んでいた江戸町奉行所の与力で歌人の加藤枝直とのこと。
彼は、昆陽のすぐれた学問と人柄に惚れ、役人に取りたてようと奉行の大岡越前守に推薦したそうです。
(これまで意識していませんでしたが、加藤枝直の名前は案内板にも見られます。)
後に関東で甘藷の手引書となる昆陽著『蕃藷考』に心を動かされた大岡越前守は、享保の大飢饉下で米に代われそうな作物「甘藷」に興味を抱いていた徳川吉宗に報告。
その書籍に感心した吉宗は、昆陽に江戸での甘藷の試植を命じました。
(吉宗は、悪病退散と享保の疫病による死者の慰霊を祈願する水神祭(「隅田川花火大会」の前身「両国の川開き」)を隅田川で執り行ったことで知られています。)
(大岡越前守は、1718年に町火消をつくり、1720年にあの「いろは四十八組」を編成した人物!)
長くなるので割愛しますが、紆余曲折を経て昆陽の努力が実り、吉宗のバックアップをもって甘藷栽培が関東へ、そして全国へと広まりました。
もし昆陽が枝直の目に留まっていなかったら、今日こうして焼き芋を手軽に楽しむことすらできなかったかもしれません。
ここまでの登場人物である青木昆陽、徳川吉宗、大岡越前守、加藤枝直の功績を振り返ってみると、全員中央区に大いに関係していることが分かります。
しかし、中央区との関係はここで終わりません!
蘭学者でもあった昆陽は、杉田玄白、中川淳庵らとともに『解体新書』を翻訳した前野良沢にオランダ語を教えた人物でもありました。
『解体新書』にまつわる碑「蘭学事始地碑」は、明石町に残されています。
そして、そのお隣にある「慶応義塾発祥の地」の碑の側面には、中津藩の医師前野良沢の名も刻まれています。
今回「さつまいも」をテーマに中央区を見てみることで、甘藷先生・青木昆陽と中央区の関連性を知ることができたばかりか、これまで別々の記事で取り上げてきた歴史の点と点を、一部ですが線にすることができました。
新型コロナウイルス感染症の影響下で行動範囲は限られがちですが、今後も中央区内の歴史を意外な角度から紐解くことで、面白い発見ができたらと思います♪
【関連記事】
巻渕彰/写楽さいさん「◆中央区 ここに歴史あり(33) 日本橋生まれの「甘藷先生」ー青木昆陽」(2011年11月)
yazさん「江戸日本橋の「小田原」って?」(2018年9月)
Hanes「消防の歴史に見る中央区(前編)」(2018年7月)
参考ウェブサイト
嘉手納町「甘藷の旅の終わり」(2020年11月3日閲覧)
国立国会図書館「江戸時代の日蘭交流」(2020年11月3日閲覧)
茅ヶ崎市「大岡越前守忠相公について」(2020年11月3日閲覧)
東京消防庁「へらひん組がなかった「いろは四十八組」」(2020年11月3日閲覧)
農林水産省「サツマイモの伝来~前田利右衛門と青木昆陽」(PDF)(2020年10月16日閲覧)