中央区の「ギュッと」に思いを馳せる
特派員CAMさんの記事 「『住みここち(自治体)ランキング』1位」https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=2410を読み、そうよね~と頷くSilver Fox 007です。
転勤でよそに住むことになった息子一家は、ぜひここに戻りたいと思っている様子。
わかるわ~!何たって便利だものね。中央区行政の狙いにしっかりハマってます(笑)。
そういえば、私が最初に観光検定を受けたときの事前講習会で、中央区は城下町(江戸城の)=下町、というお話を聞きました。人々の暮らしに必要なことがギュッと詰まった街・中央区。それは昔も今も変わらないですね。
そんなことに思いを馳せつつ、歩いて実感した「ギュッと」を聞いてください。
「ギュッと」その1
中津藩の藩医で蘭学者の前野良沢は、蘭学者の杉田玄白らと共にオランダ語の解剖書「ターヘル・アナトミア」の翻訳に取り組み、「解体新書」の出版にこぎつけました。メンバーに御殿医の桂川甫周もいて、彼の屋敷(京橋築地小学校そば)と前野良沢が住んでいた中津藩中屋敷(現在の聖路加国際大学そば、あかつき公園あたり)は、私の足でも徒歩10分くらいの距離。若かった甫周なら、走って5分だったかも。
行き詰った訳語に名訳がハタと閃いたら、すぐ駆けつけて相談できる近さに住んでいたんですねぇ。
「ギュッと」その2
現在放送中の大河ドラマ「晴天を衝け」は渋沢栄一が主人公ですね。彼の足跡は中央区のいろいろなところで目にします。特派員ブログでもいろいろご覧になったことでしょう。
私も、銀行発祥の地や東京商工会議所発祥の地(写真左、銀座6丁目、采女橋銀座側たもと)を巡礼しておきました。
明治初期に外国人居留地だった築地・明石町界隈を歩いているとき、靴業創業の碑の碑文(写真下、新富町駅7番出口そば)に渋沢栄一の名を見つけ、本当にありとあらゆる事業の後押しをしたんだなと実感。渋沢栄一が設立に尽力した東京商工会議所から、靴業創業の地まで徒歩15分くらい、のちに評議員を務めた聖路加国際病院までも徒歩15分くらいで行けます。茅場町の第一国立銀行まではさすがに徒歩30分ほどかかりそうですが、馬車や自動車が普及した頃はなおさら「すぐそこ」感だったんじゃないかと思うのです。
靴業創業の後に東京商工会議所は設立され、かつ、忙しかった渋沢栄一がいつもそこで執務していた訳ではありませんが、多くの産業や事業の勃興期に、それらが「ギュッと」の中央区。依頼や相談したい人たちにとって、思い立ったら即行動に移れる中央区は魅力的だったと思います。
ちょっと昔の「ギュッと」でした。
今もたくさんの「ギュッと」、例えば諸国往来を実感する飲食店やアンテナショップが数多くある中央区。それらを満喫できる日が早く来るよう、各自ができるコロナ対策、しっかり続けていこうと思います。