来日欧州人の像@中央区
前回のブログで取り上げた「父」の像に続いて、中央区にある来日欧州人の像をご紹介します。
八重洲のヤン・ヨーステン像
ヤン・ヨーステン・ファン・ローデンステイン(オランダ人、1556?~1623年)
場所:八重洲地下街(東京都中央区八重洲2丁目2−2 B1F 八重洲地下街外堀地下1番通り)
1600年(関ヶ原の戦いの数カ月前)、航海士ヤン・ヨーステンと航海長イギリス人ウィリアム・アダムス(日本名:三浦按針)を乗せたオランダ船リーフデ号が豊後に漂着。二人は時の権力者、徳川家康に重用されました。ヤン・ヨーステン屋敷のあった場所はヤン・ヨーステンの日本名「耶楊子(やようす)」と呼ばれるようになり、これが後に「八代洲(やよす)」となり、「八重洲(やえす)」になったといわれています。
また、八重洲通りの中央分離帯には「日蘭修好380周年記念 ヤン・ヨーステン記念碑」が設置されています。二つの羅針盤の輪の左側にヤン・ヨーステン、右側にリーフデ号、中央上部にオランダ東インド会社のマーク、中央下部には太陽をモチーフとした方位の印があり、四隅は海の波を図案化したものです。
ちなみに、東京駅前の丸ビル横にはリーフデ号の像があります。
築地のシーボルト像
フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト(ドイツ人、1796~1866年)
場所:あかつき公園(東京都中央区築地7丁目19-1)
江戸時代後期の1823年、シーボルトは長崎出島のオランダ商館医として来日。長崎郊外に鳴滝塾を開いて診療と西洋医学(蘭学)の教授にあたり、高野長英など多くの人材を育てました。「シーボルト事件(国禁である日本地図などを国外に持ち出そうとして発覚)」で国外追放となったシーボルトは、幕末に幕府の外国顧問として彼の息子アレクサンダー、ハインリヒの兄弟と再来日。その後シーボルト兄弟が日本に残り、明治の日本で活躍したことは余り知られていません。
シーボルト兄弟の異母姉であるシーボルトの娘、楠本イネは二人の協力を得て築地に産院を開業したそうです。その所縁で築地のあかつき公園にシーボルト像が設置され、2020年及び2021年の8月には築地本願寺ブディストホールで弟のハインリヒを主人公とした舞台「シーボルト父子伝~蒼い目のサムライ~」が公演されました。来年の再々公演を期待したいところです。
写真(左)は築地本願寺本堂。写真(右)はブディストホールがある第一伝導会館。