晴海高層アパート今昔
~居住者の本音と公園に残るオブジェの正体~
こんにちは。アクティブ特派員のHanes(ハネス)です。
昨年UR都市機構の集合住宅歴史館にて移築・復元された晴海高層アパートを見学し、建物の特徴等について3記事にわたりご紹介しました。
今回は、その後の調べものの結果報告として、実際の居住者の本音と晴海第一公園に残る遺構に焦点を当てたいと思います。
本題に入る前に、そもそも晴海高層アパートとは何か改めて簡単にご説明します。
本アパートは、1958年に竣工し、老朽化や耐震性等の課題が浮き彫りになったことから1997年に解体された日本住宅公団(現・UR都市機構)の初期の高層住宅のひとつ。
前川國男氏が設計を手がけ、3層6住戸分を一単位として住戸規模の可変性を持たせた構造形式「メガストラクチャー」が特徴。
3・6・9階にのみエレベーターが停まるスキップ形式のアクセスや、従来の寸法にとらわれない畳には、戦後日本の合理性への追求が見られます。
壁を取り払い、3層6住戸を1つにした際の様子(2021年11月、UR都市機構・集合住宅歴史館にて撮影)
基本情報をおさえたところで、晴海団地15号棟での37年間にわたる人々の生活の様子を採集し、記録として残すことを目的とした、住宅・都市整備公団,日本建築学会 編『晴海高層アパートの記録』(住宅・都市整備公団,1996年)をもとに、当時の居住者の本音に迫ります。
昨年11月の記事では、月収が家賃の4倍以上の人に限って賃貸が可能だったことに言及しました。
エレベーターが停まらない階の最低家賃が1万2000円で、現在の金額に換算すると、約25~26万円。
つまり、月収約100万円、年収約1200万円の人が住む高級アパートだった言えます。
実際のところ、居住者は社長や経営者が多く、アパートのそばには黒塗りのハイヤーが列をなしていたそうです。
では、このような居住者たちは、高層集合住宅がまだ一般的ではなかった時代において、「高級アパート」という認識を持ち、社会的ステータスとして入居を決めたのでしょうか?
まずは、入居の決め手を見てみましょう。
移築・復元した晴海高層アパートの廊下(2021年11月、UR都市機構・集合住宅歴史館で撮影)
一部ではありますが、入居理由は以下の通り。
・職住近接を希望
勤務先や前住居が中央区、千代田区、港区
・馴染みがあり、肌に合う場所を希望
下町出身の方は前住居のあった麻布が合わず、出身地に近く親しみがあるうえ、賃料が安いという理由で入居
・好立地を希望
銀座に近く便利
ここからは、利便性や住みやすさを追求していたことが読み取れます。
移築・復元された晴海高層アパートの室内より(2021年11月、UR都市機構・集合住宅歴史館にて撮影)
現代であれば、デザイナーズマンションというと注目を集めますよね。
そこで次に気になるのは、設計者が前川國男氏であることが入居の決め手になったか否か。
同書によると、前川國男氏の設計であることが理由で入居したデザイナーの方がいたそうですが、そのような方は本当に稀で、「公団初の高層アパートであり、前川氏の設計であるという理由で申し込んだ居住者はほとんどいない」といいます。
さらに驚くことに、「入居前に設計者や高層アパートという新しい試みに対する注目度は低く」、「一時的に丹下健三氏設計であるという噂も流れた」ほど。
前述の通り、半世紀以上前の方々が何を重要視していたのかが明らかになりました。
晴海アイランド トリトンスクエア敷地内にある晴海第一公園
晴海高層アパートの竣工から半世紀以上経った今、中央区内でとても身近な存在になった高層マンション。
上階に居住することはある種の社会的ステータスのようにとらえられることもありますが、10階建ての晴海高層アパートではどうだったのでしょうか?
同書によると、「当時は高層階に居住する経験不足からか、低層階の方が人気」だったといいます。
しかし、入居後に上の階を希望する人が増えたのだとか。
その理由の一つとして挙げられるのが、眺望の良さ。
「当時は南側に房総半島が、北側にはお風呂場から富士山」が見えたそうです。
晴海第一公園内にあるベンチ(檜原村の間伐材使用)と晴海高層アパートの遺構
そもそもなのですが、眺望を含め、周辺環境は引っ越す際の重要な決め手になりますよね。
当時の晴海高層アパートならびにその周辺への印象は、事前見学時のコメントからうかがい知ることができます。
・頑丈そう。住宅の中が木の造りなのは大変気に入ったが、自分の部屋がどこなのかわからずに迷ってしまった。
・立派。最初はコンクリートのむき出しで軍艦みたいだと思った。外国の人も見学に来ていた。
・壁はコンクリートブロックで、壊すと2軒一緒になる。建築から受けるインパクト大。
・銀座に近いのは大きな魅力。しかし、周辺がほとんど都有地で、砂場のようなイメージを受けた。
・当時は都電しかなく交通が不便。
・空き地も多く、雑草があったので蛇、とかげ、蛍などがいた。こうもりを捕ったりもした。
・銀座と同じ中央区だけど、ずいぶん田舎に来たという印象。潮干狩りに来る場所という印象。
移築・復元された晴海高層アパートのバルコニーの手すり
(2021年11月、UR都市機構・集合住宅歴史館で撮影)
印象は、人によって実にさまざま。
物理的に残っている貴重な遺構を見学するのはもちろんですが、このような記録から当時の居住者・見学者の人間味ある本音を知ることも面白いですよね。
現在UR都市機構・集合住宅歴史館は、2023年春の北区赤羽台でのオープンに向けて移転作業中。
その間、晴海第一公園を訪れ、晴海高層アパートに思いを馳せてみませんか?
ここには、人知れず「晴海高層アパートの記憶」が残っています。
ベンチの後ろに設置されている白いオブジェこそが、記念として保存された晴海高層アパートの外廊下手すりパネル、バルコニー手すり等の部材なのです!
2020年春にこの公園を訪問した際は、これらの遺構が公園に違和感なく馴染んでいたこともあり、遺構だとは全く気づきませんでした。
しかし、移築・復元された晴海高層アパートの見学後に再訪することで、当時の歴史が公園内に息づいていたことを知りました。
当時の遺構を元あった場所で保存し、現代のニーズに合わせた形で活用するとは素晴らしいですよね。
知れば知るほど面白い晴海高層アパートの調査は今後も続きます。
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ご紹介スポット情報
晴海第一公園
住所:東京都中央区晴海1-7-3
バリアフリー情報:エレベーターあり(7時~19時)