考察 数寄屋橋界隈 ④
~ こちらも数寄屋橋公園 前編 ~
リモートで、愛する中央区をナビゲートします、rosemary sea です。
シリーズでご案内します「考察 数寄屋橋界隈」、今回は第4回、「こちらも数寄屋橋公園 前編」をご紹介します。
それでは・・・
「燈臺(とうだい)」
このシリーズの第2回の文末でも申し上げましたとおり、数寄屋橋公園は銀座5丁目にある区域だけではありません。
晴海通りに分断されていますが、銀座4丁目側にも「数寄屋橋公園」はあります。
その4丁目1のメインとなる像、それが上の2枚の画像、「燈臺(とうだい)」です。
英訳では「Lighthouse」となっています。
燈臺
~ 見る者を引きつける量感あふれる銅造彫刻 ~
長崎市にある「平和記念像」の作者として知られる彫刻家の北村西望(きたむら せいぼう)が制作した銅造彫刻。
兜(かぶと)を身につけた青年が松明(たいまつ)を持ち、獅子をしたがえている力強い造形が見る者を引きつける。
彫刻とともに台座も区民有形文化財に登録されている。
~ 関東大震災10周年を記念した銅造彫刻 ~
・・・
完成は昭和6年(1931年)で、同年に開催された帝国美術院第12回美術展覧会に出品されている。
昭和8年(1933年)、関東大震災10周年の記念搭として数寄屋橋公園に設置された。
北村は石造の台座設計を行うとともに、台座にある鋳造銘板「不意の地震に不断の用意」なども制作している。
彫刻とともに、この台座も区民有形文化財に登録されている。
ー 歩いてわかる 中央区ものしり百科 より ー
銅造彫刻 「燈臺」 北村西望作
銀座4-1-2 数寄屋橋公園
関東大震災10周年記念搭の銅造彫刻は、彫刻家北村西望(1884年~1987年)が47歳の時に制作した作品です。
北村は、この彫刻を昭和6年(1931年)開催の帝国美術院第12回美術展覧会にあわせて制作し、「燈臺」と題して出品しました。
北村西望は、明治17年(1884年)に長崎県で生まれ、京都市立美術工芸学校や東京美術学校彫刻科に学び、戦前から優れた造形の彫刻を数多く制作してきました。
中でも、昭和30年(1955年)に制作した長崎市の「平和記念像」は代表作の一つです。
「燈臺」は、力に満ちた青年が兜を装い、松明を捧げ、獅子をしたがえた作品です。
この像には、北村が得意とした写実的で覇気に満ち溢れた力強い造形の人物像が創り出されています。
この作品は、大正12年(1923年)の関東大震災から10周年を迎えた昭和8年(1933年)9月1日、震災記念搭に相応(ふさわ)しい彫刻として設置されました。
北村は設置にあたって、石造の台座設計や十数万の応募から選ばれた標語「不意の地震に不断の用意」の鋳造銘板も制作しています。
銅造彫刻「燈臺」は、彫刻家北村西望による優れた造形芸術を表現しながら、震災の歴史を伝える記念搭として語り継がれています。
平成28年3月
「不意の地震に不断の用意」、文字が見えますでしょうか?
「はぐれっ子」像
この像は、「燈臺」の裏側、「数寄屋橋交差点」に面して設置されています。
「はぐれっ子」像と築地警察署 数寄屋橋交番の間にあります、銀座全体を表す説明ボードです。
はぐれっ子像・銀座説明ボードの脇には「はぐれ櫻」があります。
上の画像は今年の春撮影です。桜の花が咲いています。
この桜は平成4年4月に植樹されたようです。
後ろには築地警察署 数寄屋橋交番があります。
銀座チャンスセンター
数寄屋橋公園に面しています。
言わずと知れた「宝くじファンの聖地」、全国的に有名ですね。
年末ジャンボ発売の際などにはこちらの前で、発売イベントも催されます。
宝くじを求めるお客様で、行列もできることがあります。
数寄屋橋交差点です。中央にあります尖った建物が「築地警察署 数寄屋橋交番」です。
数寄屋橋公園
銀座4ー1
今回ご紹介の「数寄屋橋公園」は、『現在地』で赤く示されている地点です。
このシリーズ①~③での「数寄屋橋公園」は、晴海通りを挟んで図の上側「数寄屋橋公園」と黄色で塗られています地点です。(銀座5-1-1)
東京メトロ銀座線・丸ノ内線・日比谷線 銀座駅 C4出口を出て裏側に回ります。
(銀座5丁目側は、C2出口を出て戻るかたち、すぐです。)