隅田の花火

築地大橋5年。そして・・・

散歩が楽しい季節となりました。隅田川テラスを上流の方から歩いて、最下流の「築地大橋」が見える所まで来ています。

この橋が架けられたのは、ちょうど5年前の今頃でした。その時の架橋作業の光景には、度肝を抜かれた思い出があります。その後、市場の問題もあって、なかなか開通しませんでしたが、昨年秋に暫定開通致しました。

 築地大橋5年。そして・・・

(2014年5月8日)

橋の上に登って少し歩いてみました。歩行者として歩けるのは、まだ下流側(海側)の歩道だけなのですが、実際に橋を渡ってみるとその解放感に驚かされます。蝶の羽のようにアーチが開いているのがその理由のようですが、橋の周りが浜離宮や築地市場なので、背の高いビルが少ないのも理由の一つだと思います。

 築地大橋5年。そして・・・

 

広い海側を眺めれば、青い海と緑の浜離宮、そして東京タワーも遠くに見え、なかなか気持ちの良い景色。船が来るのを待っていたら、カッコいいヤツが来たので写真におさめました。

 築地大橋5年。そして・・・

 

一方、隅田川の上流側を眺めると勝鬨橋が架かっています。その後方には、いくつもの高層ビルがそびえ、それを背景とした勝鬨橋はとても格好良く見えます。築地大橋上流側の歩道が開通すれば間近に見られますので、素晴らしい写真撮影スポットになるのは間違いなしです。

 築地大橋5年。そして・・・

 

そして歩道は、浜離宮の脇を流れる築地川沿いの仮道に通じています。そこは、もりもりとした緑に覆われた水辺。中央区には水辺はそれなりにありますが、これだけ緑がある場所は他にはありません。気持ち良く歩きたい時には、かなりオススメなスポットだと思います。

 築地大橋5年。そして・・・

浜離宮に来たときに、築地川沿いを歩いて築地大橋を渡ってみる、なんていうのも良いかもしれませんね。

そして・・・特派員5年。

そんな築地大橋ですが、私はこのブログで過去に何回か記事を書きました。特に私が特派員になった頃は、ちょうどこの築地大橋が架かる頃で、ブログデビューの頭3回の記事は、この橋の架橋前、架橋中、架橋後の三部作として書いています。

 築地大橋➡ 架橋前 架橋中 架橋後

 築地大橋5年。そして・・・

この写真は5年前の4月8日、銀座一丁目の観光協会で特派員登録を済ませたあと、中央区内を巡り巡って、何故かここに辿り着いて撮ったもの。まだ橋脚の基礎の部分しかない頃で、このあと1ヶ月をかけて橋桁が設置されていきました。もちろん、橋の名前もまだ無い頃でした。

こういったこともあり、築地大橋に来ると、特派員になった頃の5年前の春を思い出します。橋が架かって新しい時代が始まるワクワク感と、特派員になって新しいことを始めるワクワク感を、この頃は自然と重ね合わせていました。

 築地大橋5年。そして・・・

そして橋が架かって5年が経ち、いよいよ来年はオリンピックが開催される年となりました。この橋の通じている先では選手村建設の真っ最中。そう、この道が通じているのは、これからの新しい時代の中央区です。

そして・・・特派員ブログは10年。

『今日も東京は晴れ!おはようございます!中央区観光協会です。本日より「中央区観光協会特派員ブログ」を開始いたします!』

この特派員ブログは2009年の5月1日、観光協会事務局スタッフの方の、すがすがしい第一声で始まっています。そう、このブログは、始まってから10年が経ちました。

そして次の新しい10年の初日はなんと、『令和』の時代の始まりと重なることになりました。

先日、このタイミングに合わせるかのように、このブログは新バージョンにリニューアルされましたが、これまでの平成最後の10年間に綴られてきた記事たちは、旧バージョンのブログとして、この画面の「アーカイブ」から見られるようになっています。

アーカイブとして残していただいたことにより、この記事たちはいつしか、平成時代の中央区の素晴らしい歴史史料になる可能性もあります。実際に過去の記事をパラパラと読んでみると、中央区は少しづつ移り変って来たんだなぁ、ということがわかります。

 築地大橋5年。そして・・・

そして、次の新しい10年は、新バージョンのブログとして、令和の時代の中央区の記事が積み重なっていくことになります。

今年度も私は、観光協会様のお手伝いをさせていただけるという事で、特派員登録をすることができました。月に一回、記事を書くのが精一杯のところがありますが、なんとか書いて、お手伝いを積み重ねていけたらと思っています。

新しい時代に向かって邁進(まいしん)する中央区、そして、新しい令和の時代の中央区が綴られていく『中央区観光協会特派員ブログ』を、これからもどうぞよろしくお願いいたします。