【遠足シリーズ第50弾】坂本龍馬の足跡をたどって
こんにちは。アクティブ特派員のHanes(ハネス)です。
しばらく前に高知県高知市を訪れた際に、坂本龍馬生誕地、龍馬の生まれたまち記念館といった坂本龍馬関連スポットを巡り、高知時代の龍馬の足跡をたどりました。
街中で見かけた「高知城下 歴史の道 総合案内」の「坂本龍馬誕生地」には、「19歳の春、江戸に出て北辰一刀流・千葉定吉道場で修行」、「江戸では佐久間象山・土佐では徳弘董斎に洋式砲術を学んだ」という記述が見て取れ、江戸と坂本龍馬の繋がりを再確認。
案内板には「江戸」としか書かれていませんが、いずれの関連史跡も中央区内に位置しています。
通称「小千葉道場」で知られた「千葉定吉道場跡」の案内板は、中央区八重洲2-8先に設置されています。
この案内板によると、坂本龍馬は2度この道場で剣術修行に打ち込み、安政5年(1858年)には定吉から「北辰一刀流長刀兵法」の目録を伝授されたそうです。
これは長刀の技を習得した証であり、現代でいう卒業証明書のようなもの。
免状の末尾には、定吉、定吉の息子で区内の案内板にも名前が確認できる若先生・重太郎、さらには重太郎の妹で龍馬の恋人だった佐那女(さなめ)の名前も記されています。
この免状は京都国立博物館で鑑定を受け、2015年に実物と判明。今はアクトランドの龍馬歴史館に展示されています。
詳しくは、アクトランドの「アクトランドのひみつ【第4回】北辰一刀流の免状」、京都国立博物館の「博物館Diary No.193:龍馬は本当に強かったのか?ー剣術免状のはなし-」をご覧ください。
そしてもう一つのスポットが、中央区銀座6-15に残る「佐久間象山塾跡」。
佐久間象山は江戸時代後期の思想家で、信濃国松代藩士。
嘉永6年(1853年)、龍馬は初めて江戸に剣術の修行に来た際に象山に入門したそうです。
砲術稽古の門下生には、勝海舟、吉田松陰、橋本左内など錚々たるメンバーが名を連ねています。
しかし、嘉永7年(1854年)に吉田松陰がアメリカ密航に失敗し、それに連座する形で象山は国許に蟄居を命ぜられ、塾は閉鎖。
松陰と象山については、「【遠足シリーズ第40弾】吉田松陰密航の企てとその後」、 「【遠足シリーズ第21弾】佐久間象山の足跡をたどって」をご覧いただければと思いますが、中央区内では、坂本龍馬、並びに彼の人生や思想に影響を与えた人物の生き様を偲ぶことができます。
今では案内板を残すのみとなりましたが、中央区を訪れた際に案内板の前でひとたび足を止め、約170年前の江戸に思いを馳せてみませんか?