桜やよい

お江戸日本橋老舗巡り「正月事始」モニター体験会に参加して!

『日本橋』文化を世界へ~日本橋の老舗と街道都市との連携による文化体験コンテンツ開発・発信事業

NPO法人全国街道交流会議主催のお正月の準備をあらわす『正月事始』をテーマに、お江戸日本橋から、諸国の街道から、伝統の技を集めたモニター体験会に参加しました。

日時:令和4年12月11日(日) 午前の部/10:30~ 午後の部/13:30~

場所:江戸桜通り地下歩道会場(中央区日本橋室町2-2-1) 

①凧づくり体験「たいめいけん」凧の博物館2代目館長茂出木雅章氏

②浮世絵木版画体験「高橋工房」文京区6代目高橋由貴子氏

③江戸扇子づくり体験「伊場仙」14代目吉田誠男氏

④若狭塗箸研ぎ出し体験「福井県小浜市」若狭工房

⑤小田原提灯づくり体験「小田原ちょうちん製作ボランティアの会」井上敦久会長

⑥飛騨の花もち飾りづくり体験「岐阜県高山市」飛騨高山よしま農園

桜やよいはラッキーなことに、午前中は③江戸扇子、午後から⑤小田原ちょうちんの貴重な体験ができましたので、ご報告させていただきます。

江戸扇子づくり体験ー伊場仙

江戸扇子づくり体験ー伊場仙
 お江戸日本橋老舗巡り「正月事始」モニター体験会に参加して!
 お江戸日本橋老舗巡り「正月事始」モニター体験会に参加して!

1590天正18年に創業し、400年もの歴史を誇る団扇と扇子の老舗「伊場仙」の吉田誠男社長が講師で扇面に絵を描いて自分だけの扇子を作りました。

伊場仙の初代・伊場屋勘左衛門の父親は、三河国岡崎で松平家の治水・土木工事の職人をしていました。徳川家康の江戸入府に伴って江戸に移り住み、開拓工事に携わりました。当時、開拓した土地は下賜されましたので、江戸に落ち着き、商いを始めたそうです。当初は、将軍家に竹材や和紙を納めていました。その後、それらの材料を使って団扇の製造も手掛けるようになりました。

団扇に絵柄を刷るために木版の刷り師や浮世絵師を数多く抱えていたことから、浮世絵の版元として栄えました。

初代歌川豊国・歌川國芳・歌川広重など、お抱えの浮世絵師はそうそうたる顔ぶれでした。

版元は出版社、浮世絵はポスターや雑誌のような庶民の娯楽でした。版元にはプロデューサーがいて、室町小町、次は歌舞伎役者だと題材を決めていました。着物柄は、流行を見極めながら専属のデザイナーが描いていたそうです。

扇子も取り扱っていました。団扇も扇子の夏の商品。冬は舟でみかんを運んで、売っていました。30軒ほどの団扇屋が軒を連ねていた界隈は団扇河岸と呼ばれていました。どの店も冬はみかんを売っていたそうです。

明治に入り、太陰暦か太陽暦へ暦が変わると、カレンダーの製造販売を行いました。現在の事業の礎はこの頃出来上がったそうです。

大ぶりなつくりが特徴の江戸扇子。勝ち組と呼ばれ、縁起がよいとされるとんぼ柄や、無病息災を願う6つの瓢箪の柄など、遊び心のある柄が多いそうです。

(「日本橋ごよみ」のご紹介 日本橋福徳塾 吉田誠男氏 より参照)

 

 お江戸日本橋老舗巡り「正月事始」モニター体験会に参加して!

画材 白い扇・絵具皿・筆2本・画彩・紙コップに水が用意されていました。

 

 お江戸日本橋老舗巡り「正月事始」モニター体験会に参加して!

平面ですと、絵が描きやすいのですが、出来上がった扇子への絵付けに挑戦してみました。

まず難しいところは、顔彩での色づくりでした。思うような色が作れずに悪戦しました。

柄を考えるよりもデザインとして春をイメージして色付けをしました。

1時間があっという間に過ぎてしまい、淡い色彩に仕上がりは、初体験としては満足感がもてました。

小田原ちょうちんづくり体験ー小田原ちょうちんづくりボランティアの会

小田原ちょうちんづくり体験ー小田原ちょうちんづくりボランティアの会 お江戸日本橋老舗巡り「正月事始」モニター体験会に参加して!
 お江戸日本橋老舗巡り「正月事始」モニター体験会に参加して!

小田原城と小田原ちょうちんのライトアップ

小田原ちょうちんの歴史(由来)

江戸時代に出版された『新編相模風土記』によると、約300年前の江戸時代に小田原ちょうちん職人の甚左衛門という人が考案し、小田原ちょうちんの三徳という特徴を明記して売り出したと書かれていました。

その三徳とは、1.大雄山最乗寺山中の霊木を使用したので魔除けとなる。2.折りたたむと懐中に入るので携帯に便利である。3.従来の丸ひごを角ひごにして糊付けをよくする。

ちょうちんを折りたたんだ時、上下の蓋(まげし)がすっぽりかぶった状態(お弁当箱のように)となり、ちょうちん本体の部分は保護されます。野外に持ち出し使用しやすくしたのです。

さらに、各ひごを使用することで糊付けをよくして丈夫にし、ちょうちんの蓋を南足柄市にある最乗寺のご霊木を使用したことからお守りとしても使われました。

このちょうちんを東海道を旅する旅人に販売したところ大変評判がよく、それを真似して各地のちょうちん職人が作るようになりました。そのちょうちんの名称が「小田原ちょうちん」として全国に広まったと言われています。

童謡「お猿のかごや」の歌詞の中に「小田原ちょうちんぶら下げて」とあり、多くの人びとの心に深く刻まれていきました。

この小田原の伝統文化である「小田原ちょうちん」を子供たちに伝承し、郷土愛を育み小田原の自慢話として将来多くの人たちに伝えて欲しいと願っています。そこで、小田原の小学校6年生全員がこの小田原ちょうちんを作ることを、小田原ちょうちん製作ボランティアの会のメンバーで各学校を回って指導なさっているそうです。

素晴らしい伝承方法ですね。ユーチューブでも「小田原ちょうちん製作ボランティア活動」を見ることができます。親子で一緒に小田原ちょうちん製作をしている姿は微笑ましい限りです。

毎年10月初旬に開催される小田原ちょうちん祭りに「小田原ちょうちんアート」小田原城本丸広場に市内小学生1.700個のちょうちんが展示されるそうです。

是非、今回自分の作ったちょうちんをぶら下げて参加してみたいものです。

 

 

 お江戸日本橋老舗巡り「正月事始」モニター体験会に参加して!
 お江戸日本橋老舗巡り「正月事始」モニター体験会に参加して!

小田原ちょうちん製作ボランティアの会の方が丁寧にサポートしていただいたので、すでに絵柄を描いていただいた和紙に、ビニル平ひごをちょうちんに組み立てた骨にボンドで貼っていきました。

木枠があるので、安定して作業ができました。1面ずつ、12本の骨にボンドを塗っていくことに神経を使いました。

 お江戸日本橋老舗巡り「正月事始」モニター体験会に参加して!

和紙を両手でしっかり貼り付ける作業も気を使いました。

こんなに集中して製作をやったのは、学生の時以来です。

出来上がった時の喜びは、童心に還った時のように「できた―」と飛び上がって大喜びをしてしまいました。

 お江戸日本橋老舗巡り「正月事始」モニター体験会に参加して!

マイネーム入り小田原ちょうちんができ上がりました。帰宅して、玄関に小田原ちょうちんをぶら下げました。

毎日、小田原ちょうちんが出迎えてくれます。10年経つと、飴色のいい色になるそうです。10年後が楽しみです。

リビングには伊場仙マイ扇子が目を和ませてくれます。

このような日本人も体験したことがないイベントが沢山あると、嬉しいです。

外国人の方たちもより日本の伝統文化を楽しんで、日本を理解してくださることでしょう。

皆様もこのようなイベントに積極的に参加なされることをお勧めしたいです。

(伊場仙 吉田誠男社長様 小田原観光協会 宇田川剛史様から記事・写真の記載を了解していただきました)