住吉神社例祭に度肝を抜かれました!
「神輿の船渡御」と「祭の幟」
2023年8月6日の早朝、佃島の住吉神社の例祭で神輿の船渡御が行われました。神輿を船で運ぶ船渡御はとてもめずらしく。このような立派な祭を実行されている佃の方々の偉業にも私は感銘を覚えました。
前回ブログ「いよいよ住吉神社例祭! 祭の見どころは…」では、住吉神社の例祭の準備の様子を掲載しましたので、そちらも是非合わせてお読みくださいませ。
感銘を受けたこと① 神輿を担ぐ気迫
写真は佃公園の急な階段を神輿が降りるところです。
眼下には神輿を積むための船が待ち構えています。
住吉神社の祭で担ぐ神輿は結構大きい、とそばで見て感じました。
担ぎ手は必死に船まで担ぎ入れます。
大きな神輿自体の重みによるものなのか、階段の傾斜で余計にかかる重力によるものなのか、はたまた江戸時代から続く祭を伝承する重みのためか。担ぎ手の方々の気迫は凄まじくお顔が歪むほど。
船に神輿を担ぎ入れる際に地面と船との間にかなりの段差があり。どうなることかと心配しましたが、そこも担ぎ手の方々は気合で乗り越えていました。
若衆(※白い揃衣(浴衣))が腕を伸ばし神輿を高く差し上げたところを撮影しました。
格好いいでしょう!
おぉーっ!という歓声と大きな拍手が沸きました。
(写真は佃島の街中を渡御する神輿)
感銘を受けたこと② 粋な神輿の船渡御
江戸時代の「神輿の海中渡御」ならぬ「神輿の船渡御」を今も実施していること、これには心を打たれます。
果たして実際に見た船渡御は、粋で素晴らしかったです。
この写真には、
●佃公園の階段を観衆が埋め尽くしている様子
●神輿が載った船(フロート船)
●お囃子の船(黄色い船)
●祭の関係者を運ぶ船(屋形船)
などが写っています。
(写真の船渡御は佃大橋から撮影)
感銘を受けたこと③ 江戸時代に描かれた浮世絵とのシンクロ性
(図は「名所江戸百景 佃じま住吉の祭 - 国立国会図書館デジタルコレクション」より引用)
図は江戸時代の著名な浮世絵師「歌川広重」の代表作「名所江戸百景」に収められた「佃じま住吉の祭」。
この浮世絵では、住吉大明神の祭の幟(のぼり)が掲げられ、大きな神輿が海中に担ぎ込まれる様子が描かれています。
これらは、現在の住吉神社の祭でも受け継がれているのです。
1つは「神輿の海中渡御」です。昔は、干潮の時間帯に人が神輿を担いで水の中に入って行きました。
現在は神主さんが乗ったフロート船に神輿を担ぎいれ、その船で佃・月島・勝どき・豊海・晴海を廻ります。
もう1つは祭の幟(のぼり)です。浮世絵の中心に描かれた幟の存在感! 江戸城の敷地内から幟が見えた、と言われています。
現在も立派な幟は健在です。佃の街中に幟を支える幟柱が6箇所も築かれ、そこに約20メートルの幟が立ちます。
感銘を受けたこと④ はためく大きな祭の幟(のぼり)
この幟たるや立派なもので、幟がはためく様を間近で見上げた時、心が震えました。
また、分厚い生地の大きな幟がはためく音を聞いていると、何かに突き動かされるような武者震いのような感覚を覚えました。
幟がこんなにも心を掻き立てるとは、実際に見るまでは想像もできませんでした。
このように立派な幟を掲げるのだから、それを支える幟柱が立派なのも納得です。
幟柱を立てるために佃の方々は1か月も前から準備なさっていました。
準備の様子は、前回ブログ「いよ住吉神社例祭! 祭の見どころは…」をお読みください。
(写真は佃大橋から撮影)
遠目にみると幟の高さが実感できます。
江戸時代には、3キロ離れた江戸城(現在の皇居)の敷地から「佃じまの住吉の祭」の幟が見えたと言われています。
実際に見てみると、相当な高さ・大きさでした。
これほど大きい幟ならば、江戸城からもやはり見えたのだろう、と納得しました。
(写真は佃大橋から撮影)
佃の街中6か所に立てられた幟。佃大橋からは6旗全てを見渡せます。
幟が立つ場所は、「住吉神社例祭(本祭)行司日程」のマップで確認しました。
【参照】住吉神社オフィシャルサイトの「令和5年住吉神社例祭 行事日程および巡幸マップ」
https://sumiyoshijinja.or.jp/pdf/2023_summer_map.pdf