ウォーターズ竹芝 → 浅草二天門
ほとんど中央区をクルーズします
隅田川9橋を中心にご紹介します(4-2)
~ 東京水辺ライン 浅草・お台場クルーズ ~
リモートで、愛する中央区をナビゲートします、rosemary sea です。
『ウオーターズ竹芝 → 浅草二天門 ほとんど中央区をクルーズします 隅田川9橋を中心にご紹介します』シリーズ、今回は4分割の2回目です。
それでは・・・
② 勝鬨橋(かちどきばし)
(冒頭画像)
(出航より6:08通過)
隅田川中央区内9橋の2番目、勝鬨橋です。
ただいま修復中です。普段はもっと見ごたえのある橋です。
勝鬨橋
(築地6丁目~勝どき1丁目)
ー 技術を駆使して建造された東洋一の可動橋 ー
明治38年(1905年)、京橋区の有志は、築地と対岸の月島を結ぶ船の渡船場を設置した。
名称の「勝鬨の渡し」は、日露戦争の旅順(りょじゅん)陥落を記念したものだ。
その後、月島が工業地帯として発展するにともなって交通需要が増大したため、当時の最先端技術を集めて建造されることになった。
勝鬨橋の竣工は昭和15年(1940年)、全長約246m・幅員約26mの双葉跳開橋(そうようちょうかいきょう※)で、完成時には東洋一の可動橋と呼ばれた。
当初は1日5回跳開したが、船舶運航量の減少などの理由からその数は次第に減少し、現在は開閉を停止している。
築地市場勝どき門横の「かちどき 橋の資料館」では、勝鬨橋をはあじめ隅田川の橋に関する貴重な資料や関連情報を展示・公開している。
また、橋を開くための機械などを鑑賞できる橋脚内見学ツアー(予約制)も実施している。
なお、資料館の近くには、明治38年に建てられた「かちどきのわたし」の石碑がある。
平成19年(2007年)6月、「国内最大の可動支間を有する技術的完成度の高い建造物」などの評価により、国の重要文化財に指定された。
~ 歩いてわかる 中央区ものしり百科 より ~
※ 双葉跳開橋・・・船を通行させるため、橋自体が上方に開く橋、その中で中央から左右に分かれて開くタイプ。
・・・最後に勝鬨橋が開いたのは昭和45年(1970年)でした。
ただ、缶コーヒーのBOSSのCMでは、CGで開いた画像がありました。
また、この勝鬨橋は11月5日に行われました『中央区まるごとミュージアム』での無料巡回バス・ボランティアガイドでも説明をさせていただきました。
本年度より、この橋も渡ることになりました。
昨年までは近くを通過するだけでした。
そして、ここからですね、橋の上からもスカイツリーが見えるようになります。
次の橋、佃大橋方向です。
聖路加ガーデン・聖路加タワー
(出航より7:25通過)
明石町8-1、左岸に見えます。
左のビルが聖路加レジデンス、右が聖路加セントルークスタワーです。
建っていますところは聖路加ガーデンと言います。
すべて【せいるか】と読むのが本当のようです。
聖路加ガーデンは聖路加国際病院のケアレジデンス部門やホテル、スポーツクラブ、そして賃貸オフィスなどで構成されました複合施設です。
高い方のビル、聖路加ルークスタワーは地上48階、地下4階。
3階から46階まではオフィス階です。
屋上には日本テレビとフジテレビのお天気カメラがあります。
以前は47階に展望室がありましたが、2010年に閉鎖となりました。
そして低い方のビル、聖路加レジデンス、左ですが、地上38階、地下3階です。
1階から31階まで、ケアレジデンス、有料老人ホームとなっています。175戸あります。
32階から38階はホテル階です。
そして途中で2つのビルは繋がっていますね、連絡ブリッジです。
日中は一般の方も通れるようです。
③ 佃大橋(つくだおおはし)
(出航より10:00通過)
隅田川中央区内9橋の3番目、佃大橋です。
スカイツリーもはっきり見えるようになりました。
佃大橋
(佃1丁目・月島1丁目~湊3丁目・明石町)
ー 東京五輪と同年に建造された橋 ー
昭和39年(1964年)、「佃の渡し」に代わって架けられた橋で、長さは約220m、幅は約25m。
かつて佃島と月島の間には佃川が流れていたが、佃大橋建設に伴って埋め立てられ、2つの島は地続きになった。
工事の際、佃川に架かっていた佃橋は撤去された。
また、橋の完成により江戸時代から300年以上続いていた渡船も姿を消した。
橋の欄干には、佃大橋の由来や佃島の風景を描いたレリーフが設置されている。
~ 歩いてわかる 中央区ものしり百科 より ~
佃島
(出航より10:22通過)
右岸、画像右端に住吉神社の赤い鳥居が見えます。
住吉神社
(佃1-1-14)
ー江戸風情を伝える本祭りを3年に一度開催 ー
正保【しょうほう】3年(1646年)、摂津国西成郡佃村(現在の大阪市西淀川区)にあった住吉神社から分社して現在地に遷座した。
~ 歩いてわかる 中央区ものしり百科 より ~
そして中央左には二層の建物があります。
石川島燈台跡です。
石川島燈台跡
(佃1ー11ー4先)
ー 船舶の安全を確保した「灯台」のモニュメント ー
慶応2年(1866年)、石川島人足寄場(にんそくよせば)奉行の清水純畸(しみずじゅんき)は、隅田川河口や品川沖を航行する船舶のため、人足寄場で生産した油絞りの益金を割き、人足の手で寄場南端に常夜灯を築かせた。
これが石川島燈台のはじまりで、六角二層の堂々とした灯台だった。
佃公園を整備する際、園内に灯台のモニュメントを建設するとともに、護岸前面には歌川広重がこの付近を描いた、名所江戸百景「佃しま住吉乃祭」、富士三十六景「東都佃沖」、東京明細図会「佃島灯明台下汐干」の浮世絵のレリーフを設置して往時の風景を伝えている。
~ 歩いてわかる 中央区ものしり百科 より ~
なお、左手には「霊岸島検潮所・量水標跡」があります。画像で残せませんでしたが。
④ 中央大橋
(出航より11:56通過)
隅田川中央区内9橋の4番目、中央大橋です。
中央大橋
(新川2丁目~佃1・2丁目)
ー 新川と佃を結ぶ橋 橋上の彫刻も有名 ー
中央大橋は中央区内にある隅田川の橋のひとつで、佃地区の再開発に伴い平成5年(1993年)に竣工した。
橋の中央部、上流側の橋脚上には、東京・隅田川とパリ・セーヌ川の友好を記念してパリ市から贈られた「メッセンジャーの像」(彫刻家オシップ・ザッキン作)が設置されている。
~ 歩いてわかる 中央区ものしり百科 より ~
メッセンジャーの像
少々見づらいですが、中央やや上部に小さく、像が写っています。
これを撮影していた関係上、右岸のリバーシティ21のビル群や石川島公園は画像に収めることができませんでした。
⑤ 永代橋(えいたいばし)
(出航より14:35通過)
隅田川中央区内9橋の5番目、永代橋です。
永代橋
(新川1丁目~江東区佐賀・永代1丁目)
ー 重厚でたくましい鋼アーチ橋 ー
最初の橋は5代将軍徳川綱吉の50歳を祝して元禄11年(1698年)に架けられたともいわれ、現在の架橋位置より150mほど上流にあった。
当時としては規模の大きい木造橋で、とても見晴らしがよく、夏は納涼の名所として知られた。
文化4年(1807年)には、深川八幡宮の祭礼に集う群衆などで混雑し、重さに耐え切れなくなった橋が崩れ落ちる事故が発生。
この事故をきっかけに本普請(ほんぶしん)となるが、その後、洪水による流出や焼失などで何度となく架け替えが行われ、明治30年(1897年)には現在の場所に鉄橋が架けられた。
道路橋としては日本初の鋼鉄製のトラス橋で、明治37年には路面電車が敷設された。
しかし、この橋も関東大震災で被災したため、震災復興事業の一環として大正15年(1926年)に重厚でたくましい外観の橋に架け替えが行われた。
平成19年(2007年)6月、「新たな鋼材を使うことで最大支間を実現した鋼アーチ橋」などの評価により、国の重要文化財に指定された。
~ 歩いてわかる 中央区ものしり百科 より ~
永代橋、ここもスタートの水門同様、デッキ上の乗客は低い姿勢をとるよう指示がありました。
橋と船の差、あまりありません。
ここを過ぎたところ、日本橋川が流入していて河口の橋・豊海橋(とよみばし)が見えたはずなのですが、姿勢を戻している間に過ぎてしまいました。
⑥ 隅田川大橋
(出航より15:50通過)
隅田川中央区内9橋の6番目、隅田川大橋です。
隅田川大橋
(日本橋箱崎町~江東区佐賀1・2丁目)
ー 機能重視のデザインが特徴の二層構造の橋 ー
首都高速道路9号深川線の建設に合わせて、昭和54年(1979年)に架橋された。
上段が首都高速道路、下段が一般道路という二層構造になっている。
機能重視のデザインが特徴。
~ 歩いてわかる 中央区ものしり百科 より ~
MAP
今回は画像中央下部、隅田川内を右ななめ上方向に遡上しました。
赤ラインで示しています。