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新しい道路愛称「箱崎北新堀通り」を紹介します

昨年「末廣通り」と「箱崎北新堀通り」の2つの通りが新たに中央区の道路愛称に決まりました。先月「末廣通り」を紹介しましたので、今回「箱崎北新堀通り」を紹介します。

「箱崎北新堀通り」は、箱崎1丁目から3丁目にかけて、豊海橋の袂から日本橋川沿って首都高の高架下まで続く約450mの通りです。上の写真のように、人通りは少なく静かな通りです。

下左側の地図は「中央区道路愛称名マップ」で、「箱崎北新堀通り」はピンク色で示されています。
右側は江戸後期の地図。江戸時代は北新堀河岸と呼ばれ、通りの先には永代橋が架かっていました。

 新しい道路愛称「箱崎北新堀通り」を紹介します

歌川広重の浮世絵「東都名所 永代橋全図 」

下の浮世絵は、隅田川テラス入口にある案内板の歌川広重「東都名所 永代橋全図 」です。
江戸時代の永代橋の袂には、船手番所があり、豊海橋は今よりも上流に架かっていました。茶屋のようなお店が軒を連ね、橋や通りをたくさんの人が歩いているのがわかります。

現在の「箱崎北新堀通り」は人通りも少なく静かですが、江戸時代は、永代橋を渡って、江戸有数の繁華街だった深川へ向かう重要な道で、人の往来も多く賑やかだったと推測できます。

 新しい道路愛称「箱崎北新堀通り」を紹介します

見どころ

この通りには「高尾稲荷神社」があります。小さな神社ですが、吉原の遊女「高尾太夫」を祀る神社で、江戸時代の地図や「東都名所 永代橋全図 」にもこの神社が描かれています。
特派員ブログに詳しい記事がたくさんアップされています。こちらをご覧ください。

高尾稲荷神社への想い~「記憶のかけら」を未来へつなぐ~(New Riverさん)
高尾稲荷神社、今、昔 (やすべえさん)

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また、通り沿いには「日本銀行創業の地碑」があります。
日本銀行は、明治15年に旧永代橋の袂にあった旧北海道開拓使物産売捌所の建物を使用して開業し、明治29年に現在の場所へ移転しました。
この開拓使物産売捌所はジョサイア・コンドルの設計、辰野金吾も設計に携わっていました。日本銀行移転後も集会所として利用されましたが、関東大震災で被災し、焼け残った建物の一部は、ジョサイア・コンドルの業績を偲ぶ記念堂として浜町公園に移設、その後、東京大空襲で焼失したのだそうです。

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この他、昨年オープンした「豊海橋たもと展望テラス」は隅田川と永代橋が展望できる絶景ポイントで、日本橋川に架かる2つの震災復興橋梁「豊海橋」「湊橋」も見どころです。

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日本橋川沿いの静かな通りですが、見どころがたくさんあります。是非立ち寄ってみてください。

出典:中央区Website, 中央区道路愛称名