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浜町公園にあった記念塔

上の写真は戦前の浜町公園を写したものです。公園正面入口から中央通路の先に大きな塔が立っています。この塔はイギリス人建築家ジョサイア・コンドルの業績を偲ぶ記念塔で、関東大震災後、浜町公園の建設に合わせて建てられました。今回、この記念塔と永代橋の袂にあった旧日本銀行本店との関わりについてお話しします。

以前、私のブログで新しい道路愛称「箱崎北新堀通り」を紹介した際にも「日本銀行創業の地碑」について少し触れました。
まず、この旧日本銀行本店の建物についてお話しします。

「箱崎北新堀通り」沿いにある「日本銀行創業の地碑」。明治15年、日本銀行は旧永代橋の袂にあった北海道開拓使物産売捌所の建物を使用して開業しました。

 浜町公園にあった記念塔

この建物は、明治政府のお抱え建築家として日本に西洋建築を伝授したイギリス人建築家ジョサイア・コンドルが設計、レンガ造りのベネチアン・ゴシック様式の優雅な建物でした。

下の絵は、その設計図の一部です。
設計図から赤レンガ造りの美しい建物だったことがわかります。右下には設計者ジョサイア・コンドルのサインがあります。注目は左下にあるサインで、「K. Tatsuno」と書かれています。後に現在の日本銀行本店本館(日本橋本石町)を設計する辰野金吾のサインです。工部大学でコンドルの教え子だった辰野金吾もこの建物の設計に参加していたようです。
辰野のサインには「1878」(明治11年)とあり、ちょうど工部大学校造家学(現・東京大学工学部建築科)教師に就任したコンドルの下で、辰野金吾が建築を学んでいた時期に当たります。

 浜町公園にあった記念塔

 

日本銀行は、明治29年、現在の場所(日本橋本石町)へ移転します。移転後もこの建物は集会所として利用されましたが、関東大震災で被災し使えなくなります。

 

一方、浜町公園は、関東大震災後の昭和4年、震災復興公園として作られました。公園には冒頭でお話ししたジョサイア・コンドルの業績を偲ぶ記念塔が建てられました。

下の写真がコンドルの記念塔です。1つ目の写真は新聞記事で、永代橋の畔(へり)にあった日本銀行集会所の震災で崩れたレンガで集めてコンドルの記念塔を造ったことが書かれています。
少しびっくりですが、この塔は震災で被災した旧日本銀行本店の建物の一部を再利用して建てられた塔だったのです。写真をよく見ると、記念塔の内側のアーチ形状は、旧日本銀行本店の2階アーチ窓と同じ形をしており、被災した建物のアーチ窓が記念塔に使われていることがわかります。
この写真では塔の大きさがわかりにくいのですが、2枚目の写真を見ると、記念塔の傍にいる人と比べて、大きな塔だったことがわかります。
記念塔は東京市により帝都復興記念建築に指定されたそうですが、残念ながら、その後、東京大空襲で焼失してしまいました。

 浜町公園にあった記念塔
 浜町公園にあった記念塔

以上、浜町公園にあったジョサイア・コンドル記念塔と旧日本銀行本店についてのお話でした。