ぴっか

日本橋と京橋を結ぶ江戸時代のメインストリート
   ~「中橋」のお盆

『江戸名所図会』中橋 国立国会図書館デジタルコレクション

上の絵は天保5年(1834)刊行の『江戸名所図会』に描かれた中橋です。現在の東京駅八重洲口からほど近い日本橋三丁目交差点にあたります。名所図会の画面左奥が京橋。画面右下が日本橋へ続く現在の中央通り。中央通りに交差して画面左右に通っている道が現在の八重洲通りです。右側が東京駅です。

 日本橋と京橋を結ぶ江戸時代のメインストリート
   ~「中橋」のお盆

 

 

日本橋三丁目交差点にはヤン・ヨーステン記念碑(左の写真)アーティゾン美術館があります。ヤン・ヨーステンは慶長5年(1600)にオランダ船リーフデ号で豊後に漂着したオランダ人航海士です。徳川家康の信任を得て日本に定住。家康の外交顧問や通訳として活躍しアジアでの朱印船貿易に従事しました。和田倉門外の堀端に屋敷を拝領し彼の名にちなんで八代洲河岸と呼ばれ、そこから八重洲となりました。

江戸時代に中橋と呼ばれたここは現在は多くの企業がオフィスを構える街です。江戸時代はどんなところだったのでしょうか?

 

橋がないのに中橋?

橋がないのに中橋? 日本橋と京橋を結ぶ江戸時代のメインストリート
   ~「中橋」のお盆

『寛永江戸図』(赤文字で加筆)国立国会図書館デジタルコレクション

冒頭であげた『江戸名所図会』(天保5(1834)~天保7(1836))では橋がありませんが寛永9(1632)の『寛永江戸図』までさかのぼると掘割があり中橋がかかっていることがわかります。その後この紅葉川という掘割はすべて埋め立てられ中橋広小路となり店が建ち人が集まる賑やかな場所となりました。

大山詣りの待合茶屋

明治29年から44年にかけて刊行された『新撰東京名所図会』の複製版である『東京名所図会』の京橋区之部に「中橋広小路には。もと木戸ありて。東西の両角に小川、環菊といふ待合の茶店ありたり。四時共に賑わひしが。夏は殊に大山参りの送り迎ひありて。甚だ雑踏を極めしといふ。江戸名所図会に。両茶店の図ありて。其の提燈に小川は紅葉環菊はかんぎくの紋章を附せり。」とあります。

大変賑わっていた中橋広小路は夏場の大山詣りの時に送迎の人で特に混雑していたようです。大山詣りについてはこちら→過去のブログ「大山詣」も参考にどうぞ。大山詣から江戸市中に帰ってきた人たちは京橋を渡りもう少しで日本橋です。その中間地点の中橋の待合茶屋に家族が迎えに来てくれている人もいます。帰ってきた人も出迎えの家族にとってもほっとする場所だったかもしれませんね。

環菊

環菊 日本橋と京橋を結ぶ江戸時代のメインストリート
   ~「中橋」のお盆

 

『江戸名所図会 中橋』の左側の待合茶屋を拡大してみました。「環菊」です。一階の軒下に「かんきく」という名前が下がっています。提灯には丸い菊の紋が入っています。

『江戸名物詩 初編』には「環菊煎茶」として次のように紹介されています。「湯湧き釜鳴る甘菊の家 掃除店浄め牀几斜め 休み来る南北東西の客 煎じ出す山吹喜撰の茶」 ※すべて漢字の漢文詩形式だったので読みやすく書き直しました。

この頃は急須でお茶をいれるのではなく、鉄瓶、鉄釜を火にかけお茶の葉を煎じて入れていたようです。渋みがでたりしないのか気になります。

小川

小川 日本橋と京橋を結ぶ江戸時代のメインストリート
   ~「中橋」のお盆

 

こちらは「環菊」の通りをはさんで向かいの「小川」という待合茶屋です。小川の紋は紅葉です。軒下に下がっている提灯に紅葉の紋が描かれています。「紅葉川」を埋め立てて中橋広小路ができたことと「小川」の紋の「紅葉」は関係あるのかないのかは調べられませんでした。

小川の店先では手持ち花火をやっている大人とそれを見てびっくりしている子供たちがいます。今も江戸時代も変わらぬ夏の風物詩ですね。

女の子の盆踊り?盆々(ボンボン)とは?

女の子の盆踊り?盆々(ボンボン)とは? 日本橋と京橋を結ぶ江戸時代のメインストリート
   ~「中橋」のお盆

このブログのタイトルでお盆と言いましたが、なぜ「中橋」の絵がお盆の時期だとわかるかというと待合茶屋「環菊」の前を通っていく手をつないだ子どもたちの行列がお盆を象徴しているからです。子どもたちの行列を拡大して見ましょう。

『守貞謾稿』(江戸時代後期の大阪、京都、江戸の風俗を説明した百科事典のような本)の「盂蘭盆会戯」の項目にこの行列と思われる解説があります。要約すると「7月初めから末まで十数人の女児が5人から7,8人づつ手をつなぎ横に連なって行く。幼児が先、年長が後ろ。その時の歌う歌の発語が必ず「ボンボン」なので「ボンボン」と呼ばれる。」という説明がある。

また、式亭三馬の『浮世風呂』四編巻之上にもこの行列の描写がある。要約すると「盆の頃6歳から17,8歳くらいの女の子が年が小さいものを前にして5,6人づつ並び乳母と一緒に盆唄を歌いながら歩く。」そしてそれを見た登場人物が「番頭、聴いたか今の盆々を。」という。 

どちらも旧暦7月のお盆の時期小さい順に横に列を作って手をつなぎ盆唄を歌いながら歩く「盆々(ぼんぼん)」という盆踊りのようなもの。ということで一致しています。行列の後ろでは赤ちゃんをおぶっていたり、泣いてしまった子どもをなだめる乳母のような人たちも描かれています。

東都歳時記』の「盆中往来の図」にも全く同じ女児の行列が描かれています。「盆中往来の図」というからにはこの行列が描かれていたらお盆の時期ということで間違いないでしょう。

江戸時代の盆踊りにはこのような女児の行列もあったようです。

現在の中橋

現在の中橋 日本橋と京橋を結ぶ江戸時代のメインストリート
   ~「中橋」のお盆

環菊」があったところは「アーティゾン美術館」(写真左側のダークグレーの建物)になっています。「小川」があったところは「越前屋ビル」(写真右角の明るいグレーのビル)です。越前屋忠七が越前からでてきてここで和装小物(真田紐)の店を出したのが慶応元年(1865)ということは幕末には「小川」はもう店をたたんでいたということになりそうです。

【アクセス】東京駅 八重洲中央口 徒歩5分

【参考文献】

『江戸名所図会』国立国会図書館デジタルコレクション

『東京名所図会』第4京橋区之部 睦書房

『近世風志(守貞謾稿)』 喜田川守貞 岩波文庫

『浮世風呂』国立国会図書館デジタルコレクション

『江戸名物詩 初編』江戸東京博物館デジタルアーカイブス