映画「祈りの幕が下りる時」
キーとなる12の橋、ご紹介します ②
ー 2月 浅草橋 ー

リモートで、愛する中央区をナビゲートします、rosemary sea です。
『映画「祈りの幕が下りる時」 キーとなる12の橋、ご紹介します』シリーズ、今回は第2回、浅草橋(あさくさばし)をご紹介します。
このシリーズは映画「祈りの幕が下りる時」に登場しました橋、キーとなる12の橋を、月ごとにご紹介してまいります。
それでは・・・
浅草橋は・・・

浅草橋は神田川に架かる橋です。
下流には神田川の河口に架かる「柳橋」があり、前回ご紹介させていただきました。
東日本橋2丁目・日本橋馬喰町2丁目と台東区浅草橋1丁目・柳橋1丁目を結んでいます。
橋の上には江戸通り、つまりは国道6号線が通っていますので、とても太くて大きい橋です。
江戸時代には、ここ浅草橋にも高札場(こうさつば)がありました。
高札場とは、法令を板に貼った高札を掲げる場所です。
江戸の六大高札場は、日本橋南詰、常盤橋外、浅草橋内、筋違橋内、高輪大木戸、半蔵門外でした。
浅草橋の名の由来は・・・
江戸城、その外堀に沿って、幕府は「見附(みつけ)」を設置しました。
見附は番所のことで、ここ浅草橋の橋のたもとにも設置されました。
番所ですから当然「門」があります。「浅草見附門」または「浅草見附御門」と呼ばれていました。
ですから橋も「浅草橋」ですね。
台東区が設置しました「旧町名由来案内 下町まちしるべ 旧浅草橋」の説明板によりますと、
『浅草橋という町は昭和9年(1934年)に茅町、上平右衛門町、福井町、榊町、新須賀町、新福井町、瓦町、須賀町、猿屋町、向柳原町がひとつになってできた。町名は神田川に架けられた橋の名にちなんでいる。
江戸幕府は、主要道路の重要な地点に櫓(やぐら)・門・橋などを築き江戸城の警護をした。奥州街道が通るこの地は、浅草観音への道筋にあたることから築かれた門は浅草御門と呼ばれた。また警護の人を配置したことから浅草見附といわれた。
ここ神田川にはじめて橋がかけられたのは寛永13年(1636年)のことである。浅草御門前にあったことから浅草御門橋と呼ばれたがいつしか「浅草橋」になった。』
とのことです。
つまりは浅草観音への道筋 ⇒ 浅草御門 ⇒ 浅草御門橋 ⇒ 浅草橋、という名称由来を語っています。
浅草橋

東日本橋2丁目および日本橋馬喰町2丁目 ー 台東区柳橋1丁目および浅草橋1丁目
※ 赤丸で示しました神田川に架かる橋です。下流には柳橋、上流には左衛門橋があります。