中央区ものしりクイズ19

中央区立シニアセンターの入口にクイズが置かれています。
今回のクイズは 19のご紹介です。
問題

解答と解説
1 日比谷です。日比谷・有楽町は、江戸期より前は「日比谷入江」が広がる海・湿地であった。江戸期になると埋立てが進められ大名の武家屋敷が立ち並ぶようになり、明治中期以降は外国の賓客を接待する施設も誕生、上流階級も集まる華やかな場所となりました。「宮城前広場」(現「皇居前広場」)や日本初の洋風近代式公園の「日比谷公園」が誕生したのも明治中期で、現在では都心部の貴重な公園・緑地として親しまれています。多くの劇場・映画館や大手新聞社が立地するなど、情報・文化の発信地としても発展、現在も多くの人々が集まる街となっています。
2 関東大震災です。大正12年の関東大震災で、隅田川の多くの橋が焼け落ちる中、新大橋は被災せず、橋上に避難した大勢の命を救いました。この記念碑は、橋上で助かった人達が昭和8年に建立した碑を、昭和39年以降に再建したもの。大きな石碑に避難の様子が真に迫る文章で残され、そばの説明碑には、新大橋西詰派出所の警官達が多数の人を誘導するなどして活躍したと記されています。
3 蔦屋重三郎です。安永2年(1773)、吉原・大門 近くに「耕書堂」という書店(貸本屋)を開業させました。
やがて老舗の地本問屋が刊行する『吉原細見』(吉原遊郭ガイドブック)の卸し、小売を手掛けるようになりました。
安永3年(1774)蔦重・最初の出版物となる『一目千本』を刊行しました。
安永4年(1775)には、自らが版元となって蔦重版『吉原細見』の刊行を始めました。
安永6年(1777)には、間借りをして営業していた「耕書堂」をすぐ近くに独立させ、新たな店舗を設けました。
そして、天明3年(1783)、『吉原細見』の出版を独占、「耕書堂」を通油町に進出させ、戯作・狂歌本・浮世絵などを扱う江戸屈指の地本問屋に成長しました。
通油町は芝居小屋(堺町の中村座、葺屋町の市村座など)が集まる芝居町(現在の日本橋人形町付近)に近く、当時は本に書かれたものが芝居になったり、
その通油町は現在の日本橋大伝馬町あたりで、灯油を売る店があったことに因んで命名されたといわれています。
大伝馬町本町通り(旧日光街道)(日本橋大伝馬町13-8先)には「耕書堂」跡の説明板(上の写真)があります。
4 銭です。宵越しの銭は持たないは、江戸っ子の気性を表した言葉であり、その日に稼いだお金は翌日に持ち越さず、その日のうちに使い果たしてしまうという、金銭に執着しない生活スタイルを意味します。