於満稲荷神社 令和7年初午祭

令和7年2月15日(土)、日本橋三丁目に鎮座されている於満稲荷神社の初午祭が挙行されました。
午後3時より、日枝神社の神職の詔、玉串奉納、参列者に玉串でお祓いをして頂きました。
来賓の祝辞で、通りの名前の「養珠院通り」という名前に愛着を持って大切にしていこうという趣旨のお話がありました。
そして、来賓で会場の設営にあたられた慶應義塾大学大学院の教授のお話では、お隣のビルが新築の際に、70cmセットバックして頂いたおかげで、お稲荷様にお参りする敷地が広くなり、青空が見える様になったことがご披露されました。 今まで、お稲荷様にお参りした後、写真を撮る際に、カメラを胸につけて撮影していましたが、良い距離で撮影できるようになったのは、この隠れた秘話があったのだと、腑に落ちました。
土地一升、金一升の時代に、大変価値のある土地のご提供を頂いたお隣りの土地のオーナー様に大感謝です。
御祭壇の豪華なお供え

私たちは、参拝の後、お神酒を頂戴しました。
絵図に描かれた於満稲荷

於満稲荷神社縁起

縁起には次のことが書かれています。
此の神社の於満とは、徳川家康公の奥御前で養珠院様(於満の方1580~1653)と言われています。
養珠院様は二人の男児に恵まれました。徳川御三家紀州家の開祖となった徳川頼宣公と、水戸家の開祖徳川頼房公の御生母です。 また、八代将軍徳川吉宗公や徳川光圀公(水戸光圀公)も子孫にあたります。 以下、割愛。
町内氏子のお願いごとが書かれています

会場の設営には慶応大学の学生さんが携わっていらっしゃいました。 お疲れ様でした。
養珠院通り 日本橋の歴史散策

お買い物とお食事の前後に、養珠院通りで日本橋の歴史に触れてください。
(この記事の掲載については、当日祭事をご担当されていた三丁目町会の女性に了承を頂きました)