2025 初午祭を彩るユーモア溢れる戯画と洒落言葉の"地口行灯"


初午祭とは、和同4年2月の最初の午の日、全国に約3万社とされる稲荷神社の総本山である京都伏見稲荷大社に祭神が降臨したとの故事に由来した、2月初午に斎行される稲荷神社の祭事です。 元佃エリアには、壱部(上町)に、住吉神社境内社の一つで明治2年に大伝馬町1丁目より遷座したと伝わる「入船稲荷神社」、弐部(下町)に、森孫右衛門一族が奉納した屋敷神が起源の「森稲荷神社」、参部(東町)に、玉垣の刻銘に元漁師町の面影を残す「浪除稲荷神社·於(御)咲稲荷神社」と、計3ヵ所4社の稲荷神社が鎮座しています。 今年は暦の上では2月6日でしたが、当エリアでは3月2日10:00より、参部、弐部、壱部の順で、太鼓の音が響く中、住吉神社平岡宮司により、初午祭修祓式が執り行われました。 神饌として、油揚げ·海の幸·山の幸·餅·酒等が供えられています。 神社前に幟、周辺には数多くの赤字に各神社名が白く染め抜かれた奉納旗が整然と立てられ、風にひらひらと揺れ、舟入堀に映り込み、風情ある景観を醸し出し、玉垣には、江戸時代に遡る風俗の「地口」(駄洒落の一種で、誰もが知る成句や芝居の台詞などを置き替えた言葉遊び)に滑稽な画を描き加えた、風刺とユーモアが融合した箱型の「地口行灯」が飾られています。 「縁の下の力持ち」を捩った「ゑん満舌の力もち」などはクスッと笑わせますが、「傘へ穴あけ半でのいなり(=葛西金町半田の稲荷)」に、傘を破り半分体が出ている狐の戯画が描き添えられた、江戸時代に願人坊主が「葛西金町半田の稲荷、麻疹も軽いが疱瘡も軽い」と唱え街なかを練り歩いたパロディなど、今では元の成句の意味が解る人が殆どいなくなったものもあるようです。