銀座4丁目 並木通り沿い
1965年設立「あかね画廊」訪問記
超アットホームな雰囲気で絵画を鑑賞!
先日、日本橋にある「ここ滋賀」のイベントで東京滋賀県人会副会長の内田真由子さんにお目にかかる機会がありました。内田さんは銀座のあかね画廊の支配人をされているということで「今度、あかね画廊に遊びに行っていいですか?」とお聞きしたところ「もちろん!」とご快諾いただきました。内田さんは、近江のお茶を首都圏でPRする全権大使もなさっているマルチに活躍されている方。
「たけちゃん」は美術の造詣が深くはなく、絵に関してはほぼ初心者レベル。銀座には画廊がたくさんあるのは知っているのですが、なかなか画廊に入る勇気がなく、入り口まで行っても入るのをためらってしまいます。そんな美術初心者の私でも「あかね画廊」に一歩足を踏み入れるとあら不思議。超アットホームな雰囲気で、落ち着いて絵画を鑑賞することができました。
結城 智子さん・中嶋 修さん 二人展
会期/2025年2月24日(月)〜3月2日(日)
取材当日は、会期最終日。ご夫婦で絵をかいている結城 智子さんと中嶋 修さんもあかね画廊にいらっしゃいました。結城 智子さんは「私の好きな物たち」というテーマで、身の回りの愛してやまない品々を中心に描かれました。中嶋 修さんは「身近な毎日」といテーマで草木や生活を描いています。ご夫婦そろっての展示会は久しぶりとのこと、いろいろとお話を伺ってみました。
結城 智子さんからお話を伺いました
結城さんは100匹シリーズという絵も描いています。ひとつの絵に100匹のネコやパンダやカメレオンなど、結城さんが大好きな動物たちを描くシリーズです。特に好きな生き物はカエル。蛇とカエルを題材にした絵もあります。この絵では、いつもは蛇に食べられてしまうカエルがリーダー的な存在になっています。
水彩画はあまり展覧会で並べないという結城さん。今回は大切な置物やコレクションを描いた絵画が飾られていました。動物の置物が大好きで「ついついいろいろ買ってしまう」結城さん。「メリーゴーランド」のオルゴールを題材にした絵もありましたが、これも気に入って買ってしまったようですよ。
そのほか、実在するカバの絵画。長崎バイオパークの人気者「モモ」。今はりっぱなカバに育ちましたが、日本で初めての人工哺育育ち。はじめは水をこわがって「泳げないカバ」なんて呼ばれていましたが、飼育員さんが「泳げなかったカバ」を一人前に育てたドキュメンタリー番組に心を動かされて描いた絵だそうです。
どの絵も優しさに満ち溢れて、眺めていると涙がでそうになってしまいました。
中嶋 修さん からお話を伺いました
中嶋さんがまず説明してくださったのは、植物の観察日記。日々の植物の成長の記録を毎日異なる時間帯で描かれたと言います。絵によって日差しの強さ、影の様子、天候で絵が変わるそうです。植木鉢がいろいろあるので、多い日は3枚描き、書かない日もあるとのこと。つぼみが咲いて、花になって、実になる様子が中嶋さんの絵から読み取れました。一枚の絵はハガキくらいの大きさですが、大きな紙(縦220cm × 横97cm)に一枚一枚貼って108枚が一つの作品になっています。
ご自分の本棚を題材にした作品もありました。一冊一冊の本の背表紙が非常に細かい文字で書かれています。読書家でもある中嶋さんの本の趣味が感じ取れる作品です。
学校の入学式や運動会を題材にして作品もありました。入学式の絵は開式から閉式までの40分位で描いているとのことです。10年以上、同じ学校の行事を描き続けていらっしゃいます。
中嶋さんの絵は、日記のような絵で文字のかわりに日記が絵で描かれているような、見ていて楽しい絵ばかりでした。
楽園の寓話 ―祈り― / 結城智子さん
この作品は結城さんがロシアのウクライナ侵攻を題材に描いた絵です。ひまわりの花はウクライナを代表する花。苦しんでいる人や、戦車も描かれています。骸骨は亡くなった人の魂だそうです。絵には十二支が描かれていて、それぞれの動物たちには、それぞれ意味があるようです。結城さんは「力を結集して早く平和を」とおっしゃっていました。とても大きな丸い絵(160×260cm)ですが展覧会を目標に2か月間くらいで集中して描いたとお聞きしました。
ひまわりのたね 一粒から春夏 / 中嶋修さん
中嶋さんが描いた、植物の観察日記。絵によって日差しの強さ、影の様子、天候で絵がかわるそうなので、よ~く見てみてください。
内田 真由子さんにあかね画廊の歴史を伺いました
あかね画廊は内田さんの旦那さんのお父様が60年前に設立。「当初、銀座中央通りか並木通りのどちらに開廊するか悩んだ末、最終的に並木通りを選びました。もし銀座中央通りにしていたら家賃が高く、今日まで続けられなかったかもしれません。その意味でも、並木通りの選択は正解でした」「銀座では、経済的に余裕のある旦那衆が芸術を支え、その環境の中で多くの芸術家が育ってきました。義理の父もまた、芸術家や文化を支えたいという強い思いから、あかね画廊を設立しました」と内田さんはお話をしてくださいました。
画廊がこれほど多く集まる地区は日本でも稀で、さらに、あかね画廊は銀座でいち早く貸し画廊の仕組みを取り入れたと伺いました。画廊を訪れる方は、絵をかいている人、毎週欠かさずきてくれる方、作家さんのお友達など様々なようです。再開発の荒波を奇跡的に避けることができたあかね画廊。ピーク時と比べると多くの画廊が銀座を去ったと言います。今後も毎週素晴らしい作家さんの作品に支えられて、いつまでも並木通りに佇んで欲しいものですね。