江戸橋 地下歩道が無くなった

”江戸橋 創架時期、橋名の由来ともに定かではない。”
と『歩いてわかる 中央区ものしり百科』に載っています。
日本橋魚河岸の発祥のページにも ”日本橋と 江戸橋 の間の北岸にあり” と記述されています。
江戸時代に日本橋川に架けられ、江戸の中心部がこの辺りだったから名付けられたとの説もあります。
橋を通っているのは関東大震災後の復興事業で幅広く造られた昭和通りであり、 江戸橋 の上では上野方面が五車線、新橋方面は最大で四車線、中央区では他にないような九車線もある横に広い橋です。

江戸橋 の南側の麓には旧三菱倉庫ビルの日本橋ダイヤビルディングがあり、郵便発祥の地である日本橋郵便局があります。
元々、華やかさや賑わいは感じませんでした。昭和の時代にはあった都営地下鉄の江戸橋駅もいつの間にか日本橋駅に変わっていました。
歴史ある橋なのに、すっとこどっこいはとても地味な印象を持っています。

昭和通りで 江戸橋 に向かって上野方面に進んでも、日本橋交番側から左折して野村證券ビルを通って 江戸橋 を渡るのも、歩道は途中で地下道へ下りて行かねば通行できませんでした。
地下道の中は、結構急な階段を降り、曲がって10m程を行ってからまた曲がり今度は登って外に出ます。自転車も通れますが、雨の時は水も入り込み急な坂道は滑りやすかったです。地下道の高さもジャンプすれば手が天井に届きそうでした。
すっとこどっこいは、薄暗く狭い所が大の苦手です。なるべく通らないよう避けていました。
東野圭吾の推理小説 ”麒麟の翼” では殺人事件が起こる現場としてこの地下道が書かれています。

先日、三越方面から昭和通り側へ曲がって歩きました。いつもは 江戸橋 の地下道側は避けて行きます。交差点で信号待ちになり立ち止まると右手のパネルが目に入りました。”階段をなくし、平面歩道となりました” と書いてあります。工事をしていた事すら知りませんでした。昭和通りを渡らずに 江戸橋 を歩きました。

渡り終わった位置から右に曲がって日本橋に通じる歩道が出来ていました。まだ工事中ですが、今までは高速道路の入口があった場所でした。

近辺にあった案内板の地図の抜粋です。 江戸橋 の部分だけを見ても上空にこんなに高速道路があるのですね。首都高速の日本橋区間地下化計画で、最初に呉服橋出入口と江戸橋出入口を先行して撤去したそうです。 江戸橋 の麓から左にカーブして高速道路の本流に合流していく部分です。日本橋川の橋脚を減らすことで川の水位を下げることにもなるそうです。
”麒麟の翼”の最初の方で交番の巡査が中国語はわからないけれど、日本橋の上にいる中国人観光客の会話を想像する場面が出て来ます。
「これほど美しい橋の上に、なぜこんな無粋なものを作ったのか』
すっとこどっこいは東野圭吾と同じ年の生まれです。高速道路がなかった日本橋を覚えているように思っていますが実際の記憶はほぼありません。大阪生まれの東野がその景色を見たわけはないのでしょうが、多分東野が感じていることなのでしょう。”ALWAYS続・三丁目の夕日”にも上空になにも無い日本橋が美しい景色として出て来ます。

工事現場のフェンスにあった1960年代の 江戸橋 の写真です。
左奥に大成証券の看板が見えるので上野側から新橋方面を写したものと思われます。
最近はあの店が無くなったとかこの住宅が壊された、景色が変わったなど寂しく思うことが多い気がします。
でもこの地下歩道整備工事は、すっとこどっこいの苦手をなくしてくれただけでなく、その後に、空を取り戻した日本橋川の景色を想像させてくれました。