はじめ

2つの「築地の梁山泊」

2025年6月1日(日)に放送されたNHK大河ドラマ『べらぼう』第21回「蝦夷桜上野屁音(えぞのさくらうえののへおと)」の冒頭場面。田沼意次の側近 三浦庄司が、『赤蝦夷風説考』の著者 工藤平助(仙台藩江戸詰の藩医)の屋敷を訪ねていました。当時としては珍しい二階建てのその屋敷では仙台藩の武士だけでなく、患者であった他藩の武士に加え、蘭学者、儒学者、国学者といった文化人、さらには役者、侠客、芸者なども含めた交流があり、「築地の梁山泊」と呼ばれていたそうです。工藤平助の屋敷がどこにあったのか分かりませんが(どなたかご存じの方がいらっしゃいましたら教えてください)、仙台藩上屋敷(現在の汐留・日本テレビタワーの辺り)に近いため築地に居を構えていたと思われます。

水滸伝になぞらえて、アウトローないしは英傑の集う場所を指す「梁山泊」。築地にはかつて「梁山泊」と呼ばれた屋敷がもう1つあります。明治時代初期、現在は料亭「新喜楽」のある辺りに大隈重信の私邸がありました。そこに伊藤博文、井上馨、山縣有朋、五代友厚、渋沢栄一といったそうそうたる面々が出入りし、当時は「築地の梁山泊」と称されていたそうです。国内外の先が見通せない今日この頃、そろそろ3つ目の「築地の梁山泊」が生まれてもよいのでは、という気がしてきました。

※写真上左:日本テレビタワー(中央の建物) 写真上右:料亭「新喜楽」