あすなろ

水を治めた偉人、河村瑞賢

江戸時代(寛文年間)に東・西廻り航路を開拓したことで知られる河村瑞賢の屋敷は、霊岸島一円(中央区新川)にありました。

当時、城下町の発展に伴い江戸の人口が急増し、主食となる米が不足するようになりました。幕府は、全国各地の天領(幕府直轄領)から多くの年貢米が早く安全で確実に江戸まで運ぶ必要に迫られ、航路開発を幕府から任されたのが河村瑞賢です。海運網を整備し、物資の輸送効率が大幅に向上し、江戸時代の経済発展に大きく貢献しました。

 水を治めた偉人、河村瑞賢

霊岸島は、諸国から船で江戸へと運び込まれる物資の陸揚げのために運河(新川)が開削され、蔵が立ち並び繁盛しました。京都や灘などの上方から、「下り酒」が菱垣廻船や樽廻船で輸送され、多くは新川の酒問屋の蔵に入ったようです。

 水を治めた偉人、河村瑞賢

戦災後1952年、新川の跡地に新川大神宮が再建されました。新川大神宮では今もなお、酒樽が奉納され、酒問屋や酒造家の守護神として崇敬を集めています。

 水を治めた偉人、河村瑞賢

畿内では大規模な治水事業、越後では用水敷設や銀山開発など色々な事業に私欲なく挑み活躍をみせた河村瑞賢は、晩年には旗本として武士の身分を与えられましたが、元禄12(1699)年、82歳で亡くなりました。お墓は鎌倉の建長寺にあります。

 水を治めた偉人、河村瑞賢

1953年、新川公園内にはこれまでの功績を称える石碑が建立されました。公園から隅田川を眺め、船舶を利用した全国ネットの物流網を想像してみたら今でも微かな興趣を呼ぶでしょう。

◆河村瑞賢屋敷跡 説明版
 東京都中央区新川1-8先 永代通り沿い

◆新川大神宮 <清酒菰樽><鳥居>
 東京都中央区新川1-8-17

◆建長寺
 神奈川県鎌倉市山ノ内8

◆新川公園 新川之跡
 東京都中央区新川1-31-1