Hanes

【遠足シリーズ第61弾】被爆・終戦80年!中央区に投下された模擬原爆の実相に迫る


こんにちは。Hanes(ハネス)です。
今年2025年は、被爆・終戦80年ですね。
広島や長崎の平和祈念式をはじめ、日本各地で追悼式やこの節目の年に関する行事が開催されたことは記憶に新しいのではないかと思います。
二度と同じ悲劇を繰り返さぬよう、核兵器のない世界を目指す取り組みは不可欠と言えます。

これまでに原爆やその被害に関する様々な調査・研究が行われ、多くのことが明らかにされてきました。
その一方で、約80年の歳月を経て、ようやくより広く世間に認知されるようになってきたこともあります。それが、模擬原爆の実相です。

 【遠足シリーズ第61弾】被爆・終戦80年!中央区に投下された模擬原爆の実相に迫る


上の2枚の写真は、福島県に行く途中に立ちよった、茨城県北茨城市にある「模擬原爆北茨城着弾地之碑」
この碑には、原爆投下の実験用に開発され、日本各地に約50発投下された模擬原爆(パンプキン爆弾)の被害について詳しく刻まれており、それが初めて投下されたのが本市であったと初めて知ることとなりました。

碑の裏側は、その後に模擬原爆が投下された場所、日付、被害が記された日本地図となっています。

 【遠足シリーズ第61弾】被爆・終戦80年!中央区に投下された模擬原爆の実相に迫る


その表記をよく見てみると、2番目に模擬原爆が投下された場所が東京都中央区であることが分かります。
中央区も被害を受けた東京大空襲はよく知られていますが、模擬原爆被害については、私同様馴染みのない方も多いのではないでしょうか。

 【遠足シリーズ第61弾】被爆・終戦80年!中央区に投下された模擬原爆の実相に迫る


そこで、今回は中央区内で確認された模擬原爆被害に迫ります。

中央区の郷土資料室に所蔵されている『中央区年表 昭和時代IV(戦時生活篇)』(東京都中央区立京橋図書館、1980年)には、下記の記述があります。

 【遠足シリーズ第61弾】被爆・終戦80年!中央区に投下された模擬原爆の実相に迫る


7.20 午前八時二二分、茨城南方から京浜東北方面に侵入した敵一機、帝都上空を通過中、東京駅東側呉服橋と八重洲橋中間の堀内に、五〇〇キロ級と推定される爆弾一個を投下し、八時三三分頃房総半島を経て南方海上に脱去した。死者三名、重篤者二名、軽傷者一名、他に家屋小破相当数の被害があった。
(p. 195より引用)

 【遠足シリーズ第61弾】被爆・終戦80年!中央区に投下された模擬原爆の実相に迫る


参考資料が45年前に発刊されたものということもあってか、犠牲者・負傷者や被害規模については、碑に刻まれているものとはやや異なります。

空襲と違い、これまであまり注目されてこなかった被害。
模擬であっても、尊い命が奪われ、多くの人に恐怖心を与え、彼らの人生を変えたことをこの節目の年に知ることができ、平和に対する意識が高まりました。

何冊か文献にあたってみたものの、中央区における模擬原爆に関する記録はあまり確認できませんでした。
そのため、本件については引き続き調べてみたいと思います。