銀座の伝説のバーテンダー
~毛利隆雄氏の生き方とは?
その一杯が、人の心をほどいていく。 銀座のとあるバーに氷の音が静かに響く。そこに立つのは、カクテルの世界王者でありながら、技術以上に"人の心"を尊ぶ男、毛利隆雄氏。
「技術は神様。人柄は仏様」—その言葉に込められた哲学と生き方をたどります。
野球少年から世界一へ
〜”飲めない”を強みに変えた味覚の探求
学生時代、真剣に野球に打ち込んだ毛利さん。最後の夏、地元福岡の強豪を相手に甲子園まであと一歩届きませんでした。その悔しさを胸に社会人野球を目指しますが2年で退社、大学に入り直しました。
学費を稼ぐために始めた東京會舘(銀座スカイラウンジ)でのアルバイト。当初は「腰かけ」のつもりでしたが、社内の野球大会での大活躍にバー部門のチーフが惚れ込み「うちに来い」と誘いました。若い頃はお酒が飲めなかった毛利さんのバーテンダー人生が、そこから始まったのでした。
「お酒が飲めない分、お客様の反応がすべてでした」と語る毛利さん。お客様の喜ぶ顔を見るため、味や技術を一つひとつ学んできました。飲めないからこそ、味覚に誠実に向き合うことができたと振り返ります。
そして、1983年。カクテルのコンテストがあるからと送り出され、関東大会で惜しくも2位。甲子園を逃したあの時の記憶が蘇り、その悔しさをバネに1984年と翌1985年には全日本カクテルコンペティションで連続優勝。さらに、1987年に日本の代表として出場したイタリア・ローマのIBA(国際バーテンダー協会)世界大会では「テイスト部門」と「テクニック部門」の両部門で最高得点をたたき出し、一番になったのです。
バーテンダーになってから18年目の快挙でした。
氷で”冷やす”のではなく、”あたためる”
—マティーニに込めた逆転の発想
毛利さんが銀座に「MORIバー」を開店したのは1997年。その名前を世界に轟かせた2つのマティーニがあります。その一つは、毛利さんの代名詞である『毛利マティーニ』。
通常のマティーニは、常温のジンに氷を入れてステア(撹拌)して、冷やします。これに対して、毛利さんは、マイナス20度まで冷却したジン(現在は「季の美 毛利」)を使用。そして、氷を入れてステアしながらマイナス6度まで温度を上昇させることで、柔らかで芳醇な香りのカクテルが生まれます。ジンの美味しさを目覚めさせるには100回のステアが必要となりますが、氷で”冷やす”のではなく、”あたためる”というコロンブスの卵的な発想が世界を驚かせました。
もう一つは、『ハバナマティーニ』
きっかけは、大量に売れ残ったと泣きついてきたお客から「ハバナクラブ7年」というラム酒を引き取ったこと。これに加えるドライ・シェリー(アルコール度数を高めたスペイン産の辛口ワイン)を片っぱしから取り寄せて、酒の相性や分量、温度を徹底的に研究し、1ヶ月かけて完成させました。
ラムは甘みがあり、重いので常温でステア100回。オンザロックでいただきます。
MORIバーでは注文の8割がカクテルで、そのうちの6割がこの2つのマティーニです。あまりの口当たりの良さに、つい40度を超えるお酒であることを忘れてしまうので、ご注意を!
ステアの際は、バースプーンを使ってかき混ぜます。中指と薬指でスプーンを挟み、クルクルとかき回す動作は地味ですが、派手なシェイキングアクションより習得が難しく、腱鞘炎を覚悟してでも磨き上げる静の技術です。仕上げにピックに刺したオリーブを沈め、レモンの皮をキュッとひねって香りをつけ差し出す一連の動きには一切のムダがなく、流れるように美しい所作となっています。
『技術は神様。人柄は仏様』
-毛利隆雄さんの生き方
毛利さんの魅力は技術だけではありません。「お酒を美味しく作るのは、バーテンダーとしては当たり前。いちばん大事なのは接客です」と語ります。
MORIバーのカウンターには常に落ち着いた雰囲気。めったに急がず、お客様がリラックスできる空間を作っています。バーテンダーはお客様の感情を映す”鏡”のような存在として、必要な時にだけ静かに言葉を添えることを心がけています。
これまでバーテンダー学校の講師も務め、19年間で6千人もの生徒を教えてきました。その約半数が毛利さんの店で研修をしています。
教え方は「見て覚えろ」というスタイル。一人前になるには、毎日決まったレシピ通りにお酒を提供するだけではダメ。基本を抑えるのは当然ですが、お客様との会話から好みや体調をつかむなどして、お客様の期待を超え、感動すら与える一杯を作ることを弟子たちに望みます。
さらに、独立を希望する弟子には惜しみなく助言を与えます。弟子のために物件探しから内装やメニュー構成、仕入れの相談まで、まるで親のように面倒をみます。
そして、開店直前には「お前の店の初日には、俺が一番客になる」と言って、開店日にスーツ姿で一番乗りしてカウンターに座ります。そしてマティーニを注文。弟子は指先の震えを抑えながらマティーニを作り、そっと差し出します。毛利さんは一口飲み、「…うん、うまい。お前の味になっているな。」と微笑みます。その言葉に、弟子の目から涙がこぼれます。
毛利さんは技術だけでなく、弟子の“生き方”まで見守っているのです。毎年開催される「毛利会」には、師匠を慕う大勢の弟子が参加しています。
憧れの人が常連に
―信じることを貫いてきたその先に
プロ野球界のレジェンドであるソフトバンク球団の王貞治会長が、毛利さんのバーに通っていることは格別の喜びです。「野球を始めたきっかけは王選手への憧れから。その憧れていた方が、今は常連としていらっしゃる。バーテンダーになって本当に良かった」と語ります。
店の扉を開けると、王会長と毛利さんのツーショット写真がお出迎え。(このブログの冒頭の写真も見てください)その喜びがいかに大きなものかが分かります。この写真は王会長主催のゴルフコンペでのものですが、コロナ前は王さんのコンペには必ず参加されていました。王会長の謙虚な人柄や、人への接し方や生き方のすべてが、毛利さんのお手本になっているといいます。
「至誠天に通ず」(「心からの誠意を尽くせば、必ずその思いは天にとどき、道がひらける」の意)といいますが、技術と人柄の積み重ねが人生のご褒美をもたらしたのでした。
誰にも開かれた
“魂を潤すとまり木”をめざして
人は、うれしいとき、悲しいとき、すごくがんばったときなど、「今日はちょっと飲んでもいいよね」と、知らず知らずのうちに誰とはなく“ゆるし”を請うています。毛利さんは、バーという場所は、そんなときに「大丈夫、いいんだよ」と優しく受け入れてくれる空間だと語ります。
バーの重い扉を開けると、人は普段の肩書きや責任を少しの間忘れて、ただの“ひとりの人”として受け入れられる安心感や心地よさを得られます。 バーテンダーやまわりの人とちょっとした会話をして、そのバーに通い、何度もその空間に身を置くことで、少しずつ、自分の中に他者を受け入れる余白が生まれ、今度は自分が誰かに無意識に”ゆるし”を与えられるようにもなります。「大丈夫、いいんだよ」と。
バーは、そんな“魂を潤すとまり木”のような場所であり、そのためにも、「居酒屋みたいに気軽に入れて、でも最高においしいお酒が楽しめる」そんなお店をめざしています。
毛利隆雄氏の哲学
―マティーニ・イズムとは?
かつてお酒も飲めず、進路も定まっていなかった毛利さんに、先輩やお客様など多くの人たちが支えの手を差し伸べてくれました。そうした人々への感謝の気持ちが、自身を謙虚にさせ、努力を重ねる力になりました。その努力が、コンペでの優勝や、独自のスタイル「毛利流」の確立へとつながっていったのです。
成果の裏には多くの試練がありましたが、それを乗り越えたことで信頼を得ることができました。信頼は期待を呼び、さらに多くの愛顧をいただくようになりました。その連鎖の中で感謝の気持ちはいっそう深まり、まるでマティーニをステアするように、人生そのものが感謝とともに回り続けていると感じています。
そして毛利さんは、感謝の本質に気づきました。それは、誰かに何かをしてもらったことへの返礼ではありません。 カクテルをつくれること。後進に技を伝えられること。業界の未来のために尽力できること。そのすべての“与える行為”そのものに、感謝の心を注ぐ。「自分が誰かのために何かをできること」こそが、最も尊いのだと。
毛利さんはこの考えを「Martini-ism(マティーニ・イズム)」と名づけました。そして、その想いをグラスに込め、今日も静かにステアし続けています。
『毛利バー』 - MORI BAR - について
1997年創業のオーセンティックバー(クラシックな正統派スタイルのバー)
東京都中央区銀座6丁目5-12 「La Vialle 7F」
銀座駅から徒歩約4分 資生堂本社並び
日・祝休 電話:03-3573-0610
平均予算 5,000円〜7,000円 (2杯程度)
・チャージ料金 1,900円
・一般のカクテル 1,500円〜2,500円が目安
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