最後のサムライとあんぱん
銀座木村家の看板に記された「木村家」の三文字。これは、「幕末の三舟」の一人として名高い、山岡鉄舟による揮毫(きごう)です。大らかな丸みを帯びながらも、凛とした気品が漂うその書風。まさに、鉄舟の潔い人柄がそのまま写し出されているかのようですね。
山岡鉄舟といえば、剣・禅・書の達人。
そして何より、江戸無血開城へと導いた最大の立役者でもあります。
慶応4年(1868年)3月、徳川慶喜の使者として命懸けで駿府(現在の静岡市)へ赴き、西郷隆盛との直談判に臨んだ鉄舟。「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るがそのような人でなければ、偉業は成し遂げられない」のちに西郷がそう称えたほど、鉄舟の「捨て身」の誠実さが和平への道を切り拓きました。その尽力がなければ、江戸の町は戦火に包まれていたかもしれません。
明治維新後、鉄舟は侍従として明治天皇に仕えます。明治8年(1875年)4月4日。天皇が向島へ行幸される際、鉄舟の仲立ちによって献上されたのが、木村家の「桜あんぱん」でした。奈良・吉野の八重桜の塩漬けをあしらった、文明開化の香り。天皇はことのほかお気に召され、以来、木村家は皇室御用達の栄誉を賜ることとなりました。現在、店頭にある看板は震災後に復元されたものですが、そこには鉄舟の感謝の心が今も刻まれています。
そして、鉄舟が維新の犠牲者の菩提を弔うために建立した谷中の全生庵。ここには、鉄舟を師と仰いだ近代落語の祖・三遊亭円朝も通い詰めました。鉄舟から学んだ「無私の心」が、江戸から明治へ、新しい時代の語り口を支えたのですね。明治21年。鉄舟は皇居のある西を向き、結跏趺坐(けっかふざ)のまま静かにその生涯を閉じました。その枕元には、最期まで師に寄り添う円朝の姿があったといいます。
銀座の看板、文明開化の香りがするあんぱん、そして静謐な寺の空気。そのすべてが、最期まで「侍」として、誠実に生きた山岡鉄舟が遺した清々しい足跡そのもの。銀座の歴史を紐解くと、こうした「縁(えにし)」の深さにいつも驚かされます。
◆銀座木村家
東京都中央区銀座4-5-7
◆西郷・山岡会見の地
静岡市伝馬町
◆江戸開城 西郷南洲 勝海舟 会見之地
東京都港区芝5-33
◆全生庵
東京都台東区谷中5-4-7
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