馬喰町の馬、三伝馬町の人
日本橋を歩くと出会う「大伝馬町」「小伝馬町」「馬喰町」といった地名。そこに刻まれた“馬”の一文字には、江戸の物流を支えた「人馬」の営みが、今もなお鮮やかな面影を留めています。
馬喰町には、馬の売買や仲介を担った「馬喰(ばくろう)」たちが暮らし、江戸のために優れた馬を揃える市場としての役割を果たしていました。一方、三伝馬町(大伝馬町、南伝馬町、小伝馬町)は、徳川家康公から「伝馬役(公用輸送の義務)」を命じられた物流の要所です。
大伝馬町:日光街道・奥州街道の伝馬業務を担当。
南伝馬町:東海道の伝馬業務を担当。
小伝馬町:各街道への伝馬の補助や、市中の公用文書の伝達などを担当。
こうして荷や情報は日本橋に集まり、ここから各街道へと振り分けられていきました。宿場ごとに人馬を交代して運ぶ「宿継ぎ(駅伝)」の仕組みにより、江戸と各地を結ぶ連絡は驚くほど迅速だったと伝わります。現代のスポーツでおなじみの“駅伝”という言葉の源流も、この伝馬制度にあります。
三伝馬町を語るうえで、名主・馬込勘解由(まごめかげゆ)の名は欠かせません。家康公の江戸入府に従った勘解由は、伝馬役の差配を任され、その屋敷には御用所が置かれました。家康公の命により宝田村から遷座したと伝わる現在の「寶田恵比寿神社」は、まさに大伝馬町の始まりを象徴する場所といえるでしょう。
また、三伝馬町の住人には特権として、神田明神と山王権現の例大祭で「一番山車」を出す権利が与えられました。これは幕府から「御用を勤める特別な町」として格式を認められていた証です。
今もなお残る町名や通りを歩けば、その道幅や辻(交差点)の佇まいに、「ここで馬が向きを変え、荷を裁き、人が行き交っていたのだろう」という想像を誘う名残が随所に感じられます。
かつて木綿問屋が軒を連ね、出版文化も花開いた大伝馬町。そこには、馬喰町が供給した“馬”と、三伝馬町が担った“人”の力が、今も街の鼓動として息づいています。
今年は2年に一度の山王祭「本祭り」。江戸の誇りが再び街を駆け抜けます。
◆寶田恵比寿神社(宝田神社)
東京都中央区日本橋本町3-10-11
◆今年は本祭り(2024年6月)
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