遠足報告:
三重県桑名市で、中央区とのご縁を味わってきました。
ゴールデンウィークに三重県桑名市に行ってきました。桑名訪問の目的は旬を迎えつつある「蛤」をいただくことです。
「その手は桑名の焼き蛤」というフレーズがあります。「食わな」と「桑名」に三重県桑名名物の「焼き蛤」とを語呂(ごろ)合わせした言葉で、「そんなうまいことを並べても、その手には乗らないで騙されたりしませんよ」という意味で使われます。
桑名は東海道五十三次の42番目の宿場町で、宮宿との間海路七里(28km)を結んでいた七里の渡しの船着き場跡があり、伊勢神宮遙拝用の一の鳥居がありました。
美味しい蛤料理は蛤専門店の「うえむら」さんでいただきました。堪能いたしました!
蛤を美味しくいただいたのはもちろんのことですが、ここでは中央区との関連についてご報告いたします。
桑名藩江戸屋敷
昨年NHKの大河ドラマでお馴染みになった松平定信は白河藩主でしたが、その子供の松平定永の代になって先祖のかつての所領であった三重県桑名に所領替えになりました。
これにはすでに隠居していた定信が藩祖・定綱以来の先祖の地である桑名に戻りたいという願望があり、寛政の改革の功労者であり老中であった定信に対する報恩として幕府が認めたと言われています。
松平越中守家の桑名藩江戸屋敷のうち、中央区内には上屋敷が北八丁掘、中屋敷が元矢之倉 (松平丹波守へ貸す)、下屋敷が向築地 (一部 稲葉長門守へ貸す)の3か所があったそうです。
このうち上屋敷は現在の八丁堀と日本橋兜町のあたり、八重洲通りが首都高速都心環状線を跨ぐ久安橋、江戸時代は越中橋と呼ばれていたそうです。
下屋敷は築地市場跡地になります。定信は隠居後にここに住み、浴恩園と名付けた二つの池を持つ回遊式池泉庭園を整備しました。風流人の一面も持っていますね。
四日市市富田浜海岸小公園の其角句碑
中央区日本橋茅場町に住居跡のある宝井 其角(たからい きかく)が蛤について読んだ句の句碑が隣接する四日市市富田にあります。
其角 蛤の焼かれてなくや敦公(ホトトギス)
焼かれる蛤の「ジュウジュウ」という音を、夏鳥のホトトギスの鳴き声になぞらえた、非常に江戸っ子的なユーモアを感じさせる句になっています。
街道を歩き焼き蛤を食べ俳句を楽しむ。まさに旅を満喫している様子が浮かびますね。
四日市市富田は桑名宿と四日市宿の間にある蛤の名産地だったそうで、江戸時代には桑名藩領でした。
今回の旅に必要な情報は日本橋にある三重県のアンテナショップ「三重テラス」で親切なスタッフの方からパンフレットや生の情報をいただきました。ありがとうございます。
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