隅田の花火

カーブの外側には「何かがある」

「早春」と呼ぶにはまだ早い1月の月末、検定試験の帰りに隅田川を歩いてみようかと、都営浅草線の東日本橋駅で降りてみた。

数分歩けば両国橋の辺りへ。ここは隅田川が大きくカーブしている。川は墨田区との区界になっていて、西岸の中央区側は「カーブの外側」にあたる。隅田川を歩きたくなった時に、何故か不思議と吸い寄せられてしまう場所である。

かなり久しぶりに来てみたけれど、ここ両国橋辺りも少し変わってしまった。

以前よりも、隅田川テラスへ下りやすくなって、とても快適になった。でも日本橋中学校前の歩道橋を撤去している光景を目にした時には、ちょっぴり残念な思いにさせられてしまった。

 カーブの外側には「何かがある」

<2026/01/31撮影> (現在は既に撤去されている)

この歩道橋からの隅田川の眺めが好きだった私は、わざわざ階段を上って、川の上流下流をボーッと眺めていたものだった。それは10年ほど前、「カーブの外側」をキーワードに、このブログでいくつかの記事を書き連ねていた頃の話である。

撤去される歩道橋を見て、そんなこともあったなと、ふと思い出してしまった。

 

今、川沿いにあるこの日本橋中学校は工事の真っ最中。歩道橋の撤去はそれに関わるもので、学校隣の千代田公園も整備がされるらしい。公園はいずれ、隅田川テラスと連結するという話もあり、隅田川へのアクセスがさらに良くなるとのことだ。素晴らしいではないか。


「カーブの外側」に建つこの日本橋中学校。歴史的には、関東大震災から7年後にあたる昭和5(1930)年の帝都復興祭の時に、昭和天皇の臨幸があった。当時は「千代田小学校」という名の学校で、震災復興の時に再建された復興小学校のうちの1つだった。今は、隣の「千代田公園」にその名が残っている。

この時、いくつかの場所を昭和天皇は廻られたそうだが、そのうちの1つとして、何故「千代田小学校」の場所が選ばれたのか、については不勉強なためよくわからない。

 カーブの外側には「何かがある」

<2026/01/31撮影> 

私の勝手な解釈になるが、「カーブの外側」は、時に感動的な風景を生み出すことがある。

川を目の前にすれば、上流と下流の風景が180度の視界の中いっぱいに広がり、カーブ沿いを歩けば、まるで自分が隅田川の真ん中にいるような感覚で、川の先の方まで眺めることができる。

要は、眺望がとても良いのだ。

 

隅田川の「カーブの外側」の特性である眺望の良いこの千代田小学校という場所は、復興した川の対岸の本所・深川の街を昭和天皇が確認される場所として、とてもふさわしかったからではないだろうか。

 カーブの外側には「何かがある」

〈昭和5年頃の2枚綴りの絵葉書・千代田小学校と隅田川風景〉

 

ちなみに、さらに時代を遡った江戸時代には、このカーブの外側に「両国広小路」が設けられ、江戸有数の歓楽街としてとても賑わったという事実がある。これについては10年前に書いた記事の通りである。

  ◆両国橋 隅田川の風物詩  →こちら

 

もう一つの隅田川の大カーブ

ここから隅田川の下流方面に向かって歩いていくと、新大橋と清洲橋の間に、もう一つの逆向きの大カーブが現れる。

 カーブの外側には「何かがある」

<1960年代か・上が上流側>

「カーブの外側」は江東区側。好きな場所で、ここもよく歩いた。下流側の佃の高層ビル群を背景に、優美に架かる清洲橋の歴史ある佇まいがとても良い。

 カーブの外側には「何かがある」

眺望の良いこの辺りには、かつて松尾芭蕉の庵があって、数々の名句が詠まれたという事実がある。下流側にはまだ橋が何も架かっていない時代なので、遠方には流れる先に海原が見えていた。一方、上流側には芭蕉がいた頃に新たに新大橋が架けられている。

 

今はこの「カーブの外側」に、中央区側を向いた松尾芭蕉翁が、隅田川のカーブを堪能するかのようにお座りになっている。

 カーブの外側には「何かがある」

日中帯は、桜の咲く上野の山が見えたであろう上流側を向いているが、夜になると、海原に浮かぶ佃島や月が見えたであろう下流側に自動で向きを変えるというから、風情のある、良く考えられた像である。

 ◆隅田川・芭蕉のカーブ →こちら

 

 カーブの外側には「何かがある」

時代を下ると、関東大震災の帝都復興事業で下流側に新たに「清洲橋」が架けられた。この「カーブの外側」から見る下流側の眺めは、まるでヨーロッパにいるような思いにさせてくれることから、市民から「ケルンの眺め」と称賛された。清洲橋は、ヨーロッパ・ドイツのケルンにあった橋を参考に設計された橋である。

 

 

他にもある「カーブの外側」

カーブがあれば「カーブの外側」がある。

例えば、中央区区域の日本橋・銀座・新橋の街を貫く「中央通り」。この通りは江戸時代初期からあった「東海道」の歴史ある道筋で、ここ中央区域では、地図を見てみると一直線ではなく、カーブしている場所が3カ所あることがわかる。ぜひ、地図を見て頂きたい。

 

中央区は、かつては川や水路が張りめぐらされていた「水辺の街」で、通りや道があれば、自ずと橋の数も多かった。中央通りも、かつてはいくつかの川を橋で跨いでいた。

偶然かどうかは分からないが、それぞれ、
 ・日本橋川を跨ぐ日本橋
 ・京橋川を跨いでいた京橋
 ・汐留川を跨いでいた新橋
が中央通りのカーブしている場所にあたる。

 

私が特に好きなカーブの外側は、「京橋」のカーブ。

昭和初期には、震災の復興期に銀座側に高いビルが建てられるようになり、この「カーブの外側」から見える京橋側の街並みは、まるで自分が通りの真ん中にいるような感じにさせてくれる風景として知られ、数々の絵葉書が残されている。

 カーブの外側には「何かがある」

<昭和初期・銀座側からみた京橋の街>

 

逆方向、京橋の街側にあった「第一相互館」からの銀座の街並みの風景の絵葉書も数多い。かつて私は、この「カーブの外側」が生み出していた風景に魅了され、「京橋物語」という記事を書くことになってしまった。

 カーブの外側には「何かがある」

<昭和5年帝都復興祭・第一相互館より>

また、今のカーブの外側からの風景の記事についても10年前に書いているが、こちらもわりと思い入れがあるので、思い起こすと、何だかとても懐かしい。

 ◆夜の銀座通り →こちら

 

歴史的にも裏付けられている「カーブの外側」が生み出す魅力ある風景。

では、日本橋と新橋の「カーブの外側」はどうなのか?魅了されるような風景は、そこにあるのだろうか?

こちらは、できれば現地に行って確認してもらいたい。

 

それが叶わない場合には、以下リンクをご参考に。2025年度の「中央区観光写真コンクール」の入賞作品。

 ◆入賞写真ギャラリー2025年度 →こちら

中央通りの日本橋・京橋・新橋の「カーブの外側」3カ所からの風景が、それぞれ1点ずつ入賞となり、そこからの風景の魅力を証明してくれている。

 

 

 

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<参考にした情報・千代田小学校>
 ◆特派員写楽さいさんの記事
   中央区ここに歴史あり(62)中央区内にある「千代田」
 ◆特派員Issa123さんの記事
   臨幸記念碑と天皇巡幸のお道筋 

<カーブの外側のブログ記事>
 ◆20160223
   春の音色・隅田川の中央大橋
 ◆20160308
   隅田川・芭蕉のカーブ
 ◆20160405
   夜の銀座通り
 ◆20160408
   両国橋・隅田川の風物詩
 ◆20170309
   隅田川 わたしの記憶めぐり<私編>
 ◆20220229
   日本橋川・陽の当たる場所を探して

<中央区観光写真コンクール>
  入賞写真ギャラリー2025年度
    日本橋:世界が集う通り
    京 橋:夜の銀座通り
    新 橋:銀座中央通りの夜